拝「今日は舟盛りなのだ」
テーブルの中央には、数種類の刺身が乗った、豪華な舟盛りがドンと置かれていた。
拝「これの原価、どれくらいだか判る?」
武「…いきなりですね。確か飲食店は、原価を三割くらいにするのが普通だと聞いた事がありますが…」
拝「御名答!でも、それは全メニュートータルでの話で、実は舟盛りって、かなり原価が高いらしい」
どこで調べて来たのかは知らないが、この店の舟盛りの原価は三割では済まないという事らしい。
何だか今日の編集長は、いきなり難しい話を振って来た。
武「この話の流れだと、もしかして今日のメニューは好き嫌いじゃなくて、原価が高かったから舟盛りですか?」
拝「その通り!つまりだね、原価が高いものを食べるという事は、お店に儲けが少ないという事でしょう」
武「まあ、そうなります」
拝「つまり、客の方が儲かっているという事だ。だから気分が良いのだ」
…確かに、計算上はそういう事かもしれないけれども、結局お金は払うので普段料理を頼むのとあまり変わらないのでは…。
そういえば、今日取り上げる映画『銭ゲバ』は、金の亡者が主人公の映画だ。
だから、さっきから"儲けた儲けた"と喜んでいるのか…
だったら、宴会コース飲み放題プランにした方が、よっぽどお得なのに…。
『銭ゲバ』は、ジョージ秋山原作コミックの映画化作品。1970年10月に公開された。
幼少の頃から顔に醜いキズのある蒲郡風太郎(唐十郎)は、極度の貧乏のために医者に見捨てられ病弱な母親(稲野和子)が死んでしまった事から、金の亡者になる。
最下層からの脱出のために、わざと大会社の社長兄丸(曽我廼家明蝶)の車に飛び込み、怪我を負いそのまま家に転がり込む。
社長のお抱え運転手を殺し、まんまとその仕事を引き継ぐと、狂言強盗を自ら解決して絶大な信用を得た。そして、兄丸社長の次女で、醜く障害のある正美(横山リエ)を騙し結婚。入り婿となり、ついに会社での地位を手に入れる。
だが、風太郎の欲望に終わりはなく、社長の兄丸を殺害、美人の長女三枝子(緑魔子)をレイプ、妻正美を自殺に追いやり、ついにトップまで上り詰めるが…。
原作は、連載開始からかなりの反響を巻き起こした、ピカレスクロマンとも言うべき波乱万丈なコミック。
自らの欲望のために、殺人をためらわない反社会的な主人公は、それまでにはなかったもので、内容の過激さのために一部で有害図書に認定されるほどの話題となった。
タイトル『銭ゲバ』の"ゲバ"はドイツ語のゲバルト、つまり暴力的行為をあらわす言葉を略語にしたもの。1960年代後半くらいから70年代に盛んに使われていた言葉で、当時の殺伐とした雰囲気を表した言葉ともいえる。つまり、タイトルは"銭" のための"ゲバ"、というかなり強烈な意味を持ったタイトルである。
全国的な広がりを見せていた学生運動は、70年安保継続後には鎮静化していた。けれども、『銭ゲバ』が公開された当時、社会には殺伐とした雰囲気が漂い、一連の連合赤軍などの過激派が起こす、尖鋭化した事件が多発する不安定な情勢だった。
学生運動という実力行使でも世の中の流れが変えられなかった虚無感が漂う中、「正義なんかよりも銭」というような、漠然としたあきらめの雰囲気を、巧みにとらえたところが支持されたと言える。
キャストも、そのような雰囲気を反映してか、メインキャストがアングラ演劇の匂いの濃い俳優で組まれていた。
主人公風太郎を演じる唐十郎は「状況劇場」(紅テント)の主催者。
小太りで、いつも湿っているような文字通りの陰湿さが印象的。まるで爬虫類みたいな気味悪さである。
高飛車に、風太郎をバカにしまくるヒロイン三枝子に、緑魔子。
映画女優としてスタートしながらアングラ演劇に度々登場、後に結婚した石橋蓮司と共に「劇団第七病棟」を結成している。
そして、顔に痣があり足が不自由で車いす生活という、ヒロインの妹正美役に、横山エリ。
アングラ文化を活写している大島渚監督『新宿泥棒日記』で主役を演じた女優だ。
風太郎の母を演じる稲野和子と、岸田森は共に「六月劇場」に所属していて、アングラ演劇の一翼である演劇センター運動にも参加していた。
この濃いメインキャストに加えて、曽我廼家明蝶、信欣三、桜井浩子、加藤武、左とん平などの俳優が脇に配置されている。
映画は、原作コミックにかなりの部分忠実に映像化されている。しかし、ラストは、原作全体の三分の二くらいの所で唐突に終了する。
続編が出来るのではないかという感じの終わり方だが、これは、原作コミックが連載され始めてほぼ半年で映画化されたためで、コミック自体は、映画公開後も三カ月近く連載されていた。
つまり、映画化がかなり速かったために、製作時点で出来る限りの所までを映画化しているのだ。
拝「ちッ 泣くのは止しやがれッ!!」
武「はい?… あ、映画のラストシーンの話ですか」
拝「いきなり「ちッ 泣くのは…」ってクレジットが出て終わっちゃうんだよね。原作では、この後知事選に出馬したりするズラよ…」
武「映画化が素早かったんですね。続編が見たかったです」
拝「放送禁止用語オンパレード。殺人にレイプに公害問題に差別に障害者、今ではまずテレビ放映出来ない作品ズラよ」
*実はしちゃってましたが…テレビ化。
武「これだけ反社会的な作品が、スマートで都会的な東宝から配給されたのだから、70年代というのは凄いです。
一番映画が無茶をしていた時代ですね」
拝「まったく同感。それに加えて、主人公の風太郎が日野日出志のマンガに出てくる人みたいズラ」
武「確かに(笑)。全体にシュールな感じでした」
拝「アングラ臭がプンプンしている。それに、緑魔子の脱ぎっぷりが凄いね。緑魔子って70年代美人の代表かもしれない。いや、そうに違いない。
じゃあ、そろそろ"岸田森的視点"よろしくズラね」
武「あの…まだ、語尾に"ズラ"を続けますか?なんだか喋りづらいんですけれども…」
拝「面白がって風太郎の真似していたら、止めるタイミングが無くなっちゃって…」
岸田森は、兄丸社長の住み込み運転手、新星(しんぼし)を演じている。
貧しい家の出だが、社長の次女、正美(横山リエ)と恋仲。そのために、社長にも気に入られ、すでに次期重役気どり。
風太郎(唐十郎)の事を完全に見下しており、自ら運転する車に飛び込んで怪我をしているのを見て「ダメなのかよ?ダメか?」という、とんでもないセリフをさらりと吐く。
そして、怪我を気遣う気はまったくなく、血を流して倒れている風太郎を見ながら「大したことはなさそうです」と社長に平然と報告してしまう冷血漢。
障害を持つ正美との恋愛も、出世のために取入ったのだと容易に想像させるキャラクターだった。
家に転がり込んだ風太郎には、重役風を吹かして顔に平然とタバコの灰を落とし「灰皿!…灰皿を取れって言ってるの!」と言い放つ。
そのあまりの人を見下す態度に切れた風太郎によって、灰皿で滅多打ちにされて殺され、庭に埋められてしまう。風太郎によって何人もの犠牲者がでるが、岸田森は映画最初の犠牲者として、あっさり殺されてしまうのだ。
この時の死にざまが短いながらも凝っている。
灰皿で殴られた岸田森は、飲みかけのビールを噴き出しながら、座っていた椅子から飛び上がり、手足をばたつかせながら続けざまに殴られ絶命する。
この間15秒もないのだが、その一瞬の間にこれだけ暴れまわっているのだ。
こういうエリート風を吹かせた嫌味な役は、岸田森の得意とする悪役キャラクターの一つである。この映画では、感情に流されずに、かなりあっさりと演じている所が普段とは違い珍しかった。アングラ演劇の一翼を担う唐十郎との絡みなので、短い出番ながら緻密な演技プランを立てて臨んだのだろうか。
拝「岸田森さん、物凄いあっさりと殺されていたね」
武「ても、演技プランはかなり練られていて面白かったです」
拝「主題歌、いいねあれ。「銭ゲバ大行進」だっけ…」
武「歌詞がシュールで強烈に反社会的なんです。でも、リズムが妙に明るくて、ギャップが凄いです」
拝「耳に残るね、あれ。
あ、そうだ。生ビール頼んでおいたよ。これも原価率が他の飲み物に比べて少し高め(当社比)なんだって」
武「まだやってたんだ…その原価の情報、本当なんですか?」
拝「この映画、岸田森さんの出演シーンは短かったね」
武「ちゃんとした役付きでは、かなり短いほうだと思います」
拝「これより短いのはある?」
武「ワンシーンなんていうのは良くありますが、凄いのだと三船プロ製作の『犬笛』という映画で、出た次のシーンで死んでいるなんていうのもあります」
拝「それ書いて。原作は敬愛する故西村寿行なんだよ!!書いてください!!書くズラ!」
武「はい…わかりました」
拝「じゃあ、次回もこの居酒屋で」
というと、編集長は勘定を計算しだした。
拝「あれ?割り切れないな…割勘分、5円多く払っておいてくれないかな?」
武「はい、構いませんけど」
拝「ははは、儲かった儲かった!」
武「編集長、人間小さすぎますよ…まったく」
(このブログはフィクションです。登場するどう考えても本人にそっくりだと思われる人物は、いくら似ていると感じられようとも実在はしません)
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