こんにちは、印度です。このところ、夏の風物詩シーモンキー(のようなもの)を育てていますが、育ってくると古代生物アノマロカリスみたいな姿になって、ちょっとワクワクしますね。
↑「アベンジャーズ」の深海魚戦艦飼ってるんですか?
さて、夏休みアメリカまんが祭りもいよいよトリの一本になりました。そうです、この「映画宝庫V3」でも度々取り上げられてきた、『アベンジャーズ』。
このアベンジャーズ、ヒーローのチームなのですが、他のチームとは一味も二味も違いのです。よく語られるのが、"主役級ヒーローが集まったドリームチーム"。これはこれで勿論アベンジャーズの一番の売りなのですが、もう一つ特徴があります。
普通、ヒーローチームというものは、例えばX?メンは「ミュータント」、日本の戦隊ヒーローは「同じ目的で集まった若者達」とか、メンバーに何がしかの共通点のあるものですが、アベンジャーズにはそれがありません。
強いて言えば、「ヒーローであること」。ヒーローだったら、誰でもOK!という間口の広いチームなのです。しかし、そのために世界観も性質も全く違うヒーロー達が集まっています。
例えば、リーダー格のキャプテン・アメリカ(キャップ)は第二次大戦中に作られ、実際に戦争に参加していたバイオ的強化人間。
他のメンバーもアイアンマンはパワードスーツを着たハイテクヒーロー
マイティ・ソーはそもそも地球人ですらない異世界の神様(!)、
ハルクは突然変異した怪人、
ブラック・ウィドウとホークアイはそれぞれ凄腕の暗殺者や弓の達人だけど普通の人間という、全く異なる背景を持ったヒーローがチームを組んでいます。
さしずめ日本で言えば、ウルトラマンと仮面ライダーとゲゲゲの鬼太郎とゴルゴ13がチームを組んだ、みたいな感じです。こう思うと顔ぶれに無理がありますよね。「キャプテン・アメリカやアイアンマンが属しているマーベルコミックは全て同じ世界の物語=マーベル・ユニバース」という設定があるにせよ、ヒーローだったら宇宙人でもミュータントでも普通の人間でも誰でも参加出来るというフリーダム過ぎるチーム、まるでヒーローの闇鍋のような軍団。
しかしアベンジャーズの魅力は、正にその闇鍋みたいな「何でもアリ」から生まれるパワーなのです。
1963年に始まった時には、当時ライバル出版社のDCが出していた、やはり主役級ヒーロー達のチーム「JLA(ジャスティス・リーグ・オブ・アメリカ=アメリカ正義同盟!)」を多分に意識したマーベル版ヒーロー・ドリームチームとして、顔見世興行的作品でもありましたが、創刊以来半世紀近くを経て、独自の世界を築きました。
この映画版『アベンジャーズ』も、その辺を抜かりなく描いています。この作品は、アベンジャーズ結成が物語の中心ですから、ヒーロー達が集まって来る過程に時間をかけていました。
インドに隠れ住むブルース・バナー(ハルク)をブラック・ウィドウが探し出し、地上に出現した邪神ロキをアイアンマンが迎え撃てば、ソーが北欧神話の国アスガルドから降臨。
『マジンガーZ対デビルマン』(1973)の昔から、ヒーロー大集合映画と言えば、"行き違いや誤解から戦うヒーロー達"はお約束です。
ここでも、ハイテクの塊アイアンマンVSファンタジックな異世界の神ソーという異色の顔合わせ。掌からビームを出しながらブースターを吹かして高機動攻撃を仕掛けるアイアンマンにソーが神斧ムジョルニアの雷撃で応戦します。科学VS神の力という異種格闘技戦ですが、この無茶さが自然に行われるのがアベンジャーズの世界。こういう世界観の無茶さを、ヒーロー達のキャラ立ちの強さで有無を言わせずにねじ伏せるのが、アメコミ映画の醍醐味とも言えるでしょう。
↑今見ると”なんだかなぁ…”感が強いですね
「何で、ああなるの?」
「そういうヒーローだからさ!」
という具合に。
さて集合しても、キャラが立ち過ぎている主役級ヒーローばかりが集まっているので、当然最初は上手くいきません。
天才で大富豪という俺様意識の強いトニー・スターク(アイアンマン)、これ又負けず劣らず俺様(というか神様?)意識の強いソー、
インテリだけど自分のパワーがコントロール出来ないブルース、正義に忠実だがそれ故に融通の利かないキャップは対立して、その隙をロキにつけ入れられてしまいます。
しかし、その間にロキが結託したエイリアン軍団チタウリが地球に侵攻を開始。その危機に、それまでのわだかまりを捨てたヒーロー達は遂に立ちあがります。
この集合‐対立、そして地球に危機に一致団結!という展開は、ヒーロー集合映画の王道中の王道。展開なんか、映画観る前からわかってしまうけど、でもいいんです!これがヒーローです!
ニューヨークでのチタウリ軍団との戦いは、アベンジャーズが何故チームなのか?を如実に描いていました。
パワーのあるソーやハルクがチタウリの大型降下艇リバイアサンを攻撃し、降下してきたチタウリ兵は小回りの利くアイアンマンやブラック・ウィドウが近接戦闘で倒し、ホークアイが戦況を偵察、そしてキャップが戦いつつも全体の指揮を執る。
この全方位的戦闘が可能なのが、メンバーのパワーや能力がまるで異なるアベンジャーズの持ち味。
だから、ガレキの中でヒーロー達が輪になってキメポーズを構えているシーンなんか、日本の戦隊ヒーローとは又違った集団ヒーローの醍醐味があって、ゾクゾクします。
さて、そんな中で印象的なのは、戦闘中にキャップと警官達の会話でした。
市民の避難を指示された警官は、「何であんたの言うことを聞かなきゃならないんだ?」と言いますが、襲ってきたチタウリ兵を一蹴する戦いぶりを目の当たりにするとすぐに従うのです。短いシーンですが、何故キャップがアベンジャーズのリーダーなのかがわかります。
パワーだけならソーやハルクの方が上ですが二人共思慮が浅い。戦闘力や機動力でもアイアンマンが勝っていますが、他人の痛みに無頓着で傲慢なところがある。それに対して、第二次大戦中から戦っていた誰よりも長いキャリアがあり、元々虚弱体質というハンデを背負って成長しただけに弱い者を守る気持ちが強い、そんなキャップの"ヒーローとしての人間力"が、単にパワーや能力だけでは測れないリーダーとしての資質なのです。
特に原作のコミックでの、キャプテン・アメリカ自身の長い歴史やアベンジャーズとの長い共闘の歴史を踏まえて、この映画では観ていると設定は少し違うけど、その世界観に敬意を払っている事がわかります。
正直キャップは今回アベンジャーズ誕生編ということもあり、イマイチ目立たなかったので、続編ではもっとリーダーぶりを発揮して欲しいし、コミックでの決め台詞「アベンジャーズ、アッセンブル(集合)!」も言ってくれることでしょう。
他にも、キャップとアイアンマンがコミックでは友人だけど微妙な緊張感のある複雑な関係だと言うことを踏まえると、映画での秘密組織シールドの飛行空母のエンジンを直す二人のシーンにも又違ったニュアンスが出てくるし、ホークアイとブラック・ウィドウは恋愛関係にあったというコミックの設定を知っていると映画の中の二人の会話にもニンマリする部分もあるはず。
勿論、コミックを知らないと楽しめないわけではありませんが、知っていればより楽しめます。
原作のアメコミを知っている方は元より、アメコミ読んだこと無いよという方も、この機会に何かコミックを読んでみて下さい。原作を知ってから見直すと、アメコミ映画のアチコチにコミックへの目配りやリスペクトが散りばめられていることがわかるでしょう。
この『アベンジャーズ』によって、『アイアンマン』『インクレディブル・ハルク』『マイティ・ソー』『キャプテン・アメリカ』を繋ぐ「マーベル・シネマティック・ユニバース」という一つの世界が出来ました。現在は他の会社が映像化権を持っているために別世界になっている『X?MEN』や『ファンタスティック・フォー』、そして『スパイダーマン』なども、今後はシネマティック・ユニバースに加わって来る予定です。これが実現した時、一体どんな映画が出来るのだろう?と期待や妄想が膨らんでしまいますね。
↑ハルクメイキング。フル○ンハルクも見えますね
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