こんにちは、『太陽戦隊サンバルカン』の歌を"もし?も、太陽が無か?ったら?♪"と口ずさみながら、朝っぱらから日食メガネで欠ける太陽を眺めていた印度です。
さて、昨年以来続いた侵略SF映画のトリを飾った、とも言うべき「バトルシップ」。
今まで幾多のSF映画の中で宇宙からの侵略が描かれましたが、侵略SFとしてはこの映画大変斬新な内容です。
ジョージ・パルの『宇宙戦争』(1953)の昔から、宇宙からの侵略者との戦いと言えば、"陸と空"と相場は決まっていました。
勿論、海軍の出番もありますが、大体はやられ役です。
代表的な作品で言うと『インディペンデント・デイ』(1996)然り、
最近の 『世界侵略:ロサンゼルス決戦』(2011)然り、
日本の『地球防衛軍』(1957)や『宇宙大戦争』(1960)もそうでした。
専ら空の戦いだった「インディペンデンス・デイ」
やっぱり、敵は空から来る!「世界侵略:ロサンゼルス決戦」
何故でしょうか?
はっきり言ってしまうと、設定に無理があるからです。
宇宙からやってくるような科学力を持った敵が、海にプカプカ浮いて戦うか? あり得ない! そして、海軍の主力である水上艦は海の上という二次元の動きしか出来ません。航空機を搭載した空母や水中を動く潜水艦は三次元の立体的な動きが出来ますが、どちらも空でも海でも活動出来るわけではない、実質二・五次元な動きしか出来ない兵力と言えます。
大体、映画に出てくるエイリアンの乗り物は海でも空でも平気で動き回りますから、そんな敵と戦えば、分が悪いに決まっている! という訳で、この手の映画では海軍はお呼びで無い、という事になります。
数少ない先駆的作品としては、冷戦時代を背景にアメリカ海軍の原子力潜水艦がサボテンのお化けみたいなエイリアンと遭遇する『原潜vs.UFO/海底大作戦』(1959)とか
珍しやフランス海軍当時最新鋭の原子力空母「クレマンソー」がUFOを迎撃する異色作『頭上の脅威』(1964)とか
TV作品まで含めると時々原潜がエイリアンと戦っていた『原子力潜水艦シービュー号』(1964‐1968)とか
水中でUFOと潜水艦が戦うこともあった『謎の円盤UFO』(1970)
などありますが、やはり一般的とは言えません。
一気にチャちくなる「原潜vs.UFO」
広報映画みたいな「頭上の脅威」
じゃ、何でこの映画はわざわざ海軍とエイリアンを戦わせているのでしょう? ぶっちゃけてしまうと、この敵は別にエイリアンでなくてもいいのです。
アメリカ海軍の艦艇を凌駕する兵力を持った敵でありさえすれば、何でもいいのです。
只、具体的に地球上に存在する敵(例えば、ハリウッド的に考えると北○鮮とかイ○ンとか。海上の宇宙船を観た兵が「北○鮮のしわざだ!」というシーンも・・・)という事になると、色々と政治的な配慮も必要なので話も作り難い。
だったら、エイリアンなら思う存分叩きのめせる!というザックリした発想なのでしょう(元々、侵略SF映画のエイリアンは、その時代の"仮想敵"のメタファーという側面がありますが)。
だから、この映画に出てくるエイリアンは恒星間航行が出来るほどの科学力があるのに、大気圏に突入する時に大事な通信船(ハイテクになればなるほど通信システムは命です)を人工衛星にぶつけて壊したりするスットコなところがあります。
でも、それもこれも全ては、エイリアンと海軍と戦わせるという結論から逆算して作られた映画なので無問題!
コロンブスの卵と言うか、やったもん勝ちと言うか、現代の海軍の主力艦だけど、絵的に地味になる潜水艦(やっぱり海の中ですからね)ではなく、
戦闘能力は高いけど他の艦とのチームで運用しないと戦力にならない空母(浮かぶ飛行場ですから護衛される事を前提に造られています)でもなく、
一艦でも独立した戦闘能力を持つ駆逐艦を主役に据える事で、映像的に生える"海上でエイリアンとの差しで勝負"が実現する、というわけです。
実際、エイリアンの宇宙船から攻撃を受けて、米海軍の駆逐艦や海上自衛隊の護衛艦(日本の政治的な環境でこう呼びますが、登場する「みょうこう)は実質駆逐艦といえます)が次々と撃沈されるシーンは戦争映画として、かなり燃えます。
SF映画にありがちなビーム兵器では無く、わざわざミサイルのような実体弾を使っている辺り、監督のピーター・バーグの海軍オタぶりがわかりますね。この人、ガチの海戦がやりたいんですよ。
エイリアンのバリアによって電子兵器(レーダーなど)が封じられているので、有視界戦闘しか出来ない(おぉ、ミノフスキー粒子!)という設定も、長射程のミサイルで相手の姿も見ずに叩き合う、盛り上がらないハイテク戦を避ける知恵なんですね、わかってるなぁ。
この映画の元ネタである、ハスブロー社のボードゲーム「バトルシップ」を再現した、駆逐艦とエイリアンの船との夜戦なんか、もろゲームのりですが、接近してくる敵艦の動きを読みながら、ギリギリまで引きつけてミサイル発射!なんて、燃える燃える!
今時、水上艦同士がガチで戦うような状況は現実には考え難いだけに、「そうか、この手があったか!」と楽しくなってしまいました。SF映画という衣をまとえば、多少無茶な話でも、それこそトム・クランシーのりのハイテク戦も堂々と出来ます。この映画は、今後のSF映画や戦争映画へ一つの突破口を示したとも言えるかもしれません。
そしてダメ押しというか、駆逐艦が皆撃沈された、どうする?となると、退役している戦艦ミズーリを引っ張り出してしまい、これ又退役した元乗組員達が呼ばれもしないのに、甲板の上を勢ぞろいしてやってくる(爆!)
この辺はホントにバカ映画ノリですが、観ている時にはやっぱり盛り上がります。"古の兵器を使う老兵"という構図がミリオタ的発想なんですよ。
アナログ兵器って、人間が手足を使って一生懸命動かしているという"熱さ"がいいんですね。主砲の砲弾を皆で持って運ぶシーンなんて、幾らなんでもバカ過ぎますけど、でもいいんですよ! 戦艦の力の象徴でもある巨大な砲弾を、退役したベテラン(veteranという単語は主として退役軍人という意味になります)と現役の軍人が世代も戦う時代も超えて、世界の危機に際して一丸となって運ぶから熱いんです!
「バトルシップ」のミズーリの動画
今の日本では既に忘れ去られていますが、戦艦はかつては国のシンボルであり。誇りであり、只の軍艦ではありませんでした。特にアメリカのような、かつての戦争の勝利の象徴として戦艦を大事に保存しているお国柄にあっては、ミズーリを映画に出す、という事はそれなりに意味のある事なのです。
だから演出も、ミズーリやかつての乗組員へのリスペクトに満ちたものになっていますし、巨大な主砲を見上げるようにド?ン!と撮っているカットなんて、オレは戦艦が好きなんじゃぁぁぁぁ!という監督の魂の叫びが画面から伝わって来るようですね。
映画のタイトルからして「バトルシップ=戦艦」なので、このミズーリはタイトルロールでもあり、その上海軍というカルチャーの象徴のような「戦艦」にここ一番の見せ場をさらわせるところなど、海軍オタ=大鑑巨砲主義者が万国共通である刻印にようです。
『タイタニック』かよ!とツッコミたくなる駆逐艦の無茶な沈没シーンもありますが、確信犯的に全編無茶さが横溢しているのも又一興というところ。
この辺、アメリカ万歳!みたいで不快に思う方もいるでしょうけど、筋立てとしては戦意高揚映画みたいなものだから、このノリでいいんです。こういう映画で、妙に軍隊や戦争に冷静になられても、しらけるだけだし。そういう話は、他のシリアスな作品で語られればいいことでしょう。
既に観た方達からは「バカ映画」の声も上がっていますが、どうせバカ映画なら壮大なバカ映画が見たいものです。この『バトルシップ』、正に衒いも無く作られた、壮大なるバカ映画でした。こういう映画はある種の"愛"をもってバカにしながら楽しむのが、ジャンル映画好きとして正しい態度じゃないのかなぁ、と思ったりもするのですが、いかがでしょうか?
おまけ:「バトルシップ」エイリアンのメイキング映像です。
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