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『カミノフデ ~怪獣たちのいる島~』怪獣造りに人生をかけた男の”特撮愛”詰め合わせ映画!改めてその魅力を語る

『Legend of The Monster Maker~怪獣造形王~降臨』カミノフデの魅力②

浅尾典彦(夢人塔代表・作家・治療家)

2024年3月2日(土)に『大阪アジアン映画祭2024』(シネリーブル梅田)の世界プレミアで初めて一般に公開され、その全容が明らかになった、村瀬継蔵監督の特撮映画『カミノフデ ~怪獣たちのいる島~

7/26の東京・大阪など大都市での封切りを経て、8/30からは全国のイオンシネマ等で拡大公開中だが、今回は村瀬監督とプロデューサーの佐藤大介の最初の舞台挨拶での貴重な証言を交えながら、改めてその作品の魅力について迫ってみたい。

●『カミノフデ』誕生のきっかけ

カミノフデ ~怪獣たちのいる島~』この映画の始まりのきっかけは、1970年代半ば、村瀬継蔵が香港のショウブラザーズに呼ばれ映画『北京原人の逆襲』(The Mighty Peking Man 猩猩王(日本公開1978年))を撮影していた時の事。

ある日、プロデューサーのチャイ・ラン(蔡瀾)に「ちょっと台本を書いてみないか?」と言われて、村瀬は、毎日仕事が終わってから、夜の10時過ぎから朝の3時頃まで、約2年間掛かって「カミノフデ」の元になる台本を書いた。

仕上がった台本をチャイ・ランに見せたところ「いやー、これは面白いね!出来たらショウブラザーズで撮りたいね」と言ってくれた。

村瀬は「じゃあ、お願いします」と喜んだが、一時は隆盛を極めた世界のショウブラザーズもその後は低迷し、結局企画は頓挫する事になる(ショウブラザーズはゴールデンハーベストに負けテレビ制作に方針転換していく時期であった)

村瀬は『北京原人の逆襲』完成後、日本に戻り、それから45年以上の時が経過する。

そして、ずっと寝かしていた「カミノフデ」初号台本を、たまたま周りのみんなに見せる機会があった。
みんなが「これ短くてもいいから、何か映画作らない?」と言ったので、佐藤大介プロデューサーを呼んで「一緒にこういう映画をやってみない?」と誘った。

これが『カミノフデ』製作のきっかけである。

最初は「短編でやりましょう」という事で2017年に脚本の作業からスタート。
しかし「五十年前に書いたストーリーだと今の子どもたちには響かないかもしれない」と思い、大元の「カミノフデ」の内容を残す形で現代版にアレンジして、今の最終的な映画の形となっていった。

企画、台本制作と進み、資金調達がやっとうまくいきかけた頃に、日本はコロナ禍に見舞われることとなる。
協賛予定の会社や周りがみんな離れていき、映画製作に急ブレーキがかかる。

村瀬は考えた末、自分で立ち上げ、今は息子(映画のプロデューサーも務める村瀬直人氏)に任せている会社・ツエニーに作品を託し、製作資金を集め、コロナ禍真っ最中の2020年に池袋ヒューマックスシネマズで製作発表をした。
それと同時に「クラウドファンディングを募集」する形でついに映画『カミノフデ』はスタートしたのであった。まさに”山あり谷あり”の製作となった。

●生きる”特撮映画史”

村瀬継蔵は日本の特撮映画を造型で支えた匠であり、円谷特撮の現場を知る生き証人である。

1935年(昭和10年)に北海道・池田町に生まれ、23歳で上京して新東宝に勤めていた兄の勧めで1957年に東宝の「特殊美術」にアルバイトとして参加した。

最初に助手として『大怪獣バラン』に携わり、バランの背中のトゲを透明ビニールチューブを斜めにカットする事で表現してアイディアを円谷英二に褒められた。この技術は後の”メガロ”にも生かされている。

その後『日本誕生』(1959年)では八岐大蛇を、『モスラ』(1961年)、『マタンゴ』(1963年)、翌年には『三大怪獣 地球最大の決戦』ではゴジラのしっぽとキングギドラの造形を担当している。

1965年、契約した会社以外の仕事を受けてはならないという1960年代の「五社協定」を乗り越えて、ライバル会社・大映で、初の怪獣映画となる『大怪獣ガメラ』(1965年)や大魔神三部作の『大魔神怒る』『大魔神逆襲』に関わる。

これを期に、大手から独立したエキスプロに参加し『快獣ブースカ』や『キャプテンウルトラ』などのテレビ作品、1967年には韓国初の怪獣映画『大怪獣ヨンガリ』Yongary, Monster from the Deep、1969年には台湾映画『乾坤三決斗』The Valiant Villainなど海外作品にも参加してゆく。

1972年には独立し、自ら造形美術会社「ツエニー」を設立。
『仮面ライダー』のライダーやサイクロン号、『超人バロム・1』のドルゲ魔人、『ウルトラマンA』のベロクロン他など怪獣の造形を手がける。

香港のショウ・ブラザーズに招かれ『蛇王子』The Snake Prince(1976年)、前述の『北京原人の逆襲』では造形のみならず、特技監督有川貞昌の元火だるまでビルから落ちる北京原人のスタントも演じている。

その後は『帝都大戦』(1988年)や『ゴジラvsキングギドラ』(1991年)などのセットや造形物を手がけた。「ツエニー」の会長に就任。
2024年、第47回日本アカデミー賞 協会特別賞を受賞している。

『北京原人の逆襲』『日本誕生』の撮影秘話を語る村瀬監督

●村瀬継蔵を慕って一流のプロが大集結

この様な生きる”日本の特撮映画史”とも云える村瀬に共感し、映画『カミノフデ』には多くの特撮関係者・スタッフ・キャストが集結した。

脚本は『オカルト地蔵』『燃える仏像人間』の中沢健。
特撮監督・プロデューサーは『狭霧の國』『特撮喜劇 大木勇造 人生最大の決戦』の佐藤大介。
監督補は『特撮喜劇 大木勇造 人生最大の決戦』『アタック・オブ・ザ・ジャイアントティーチャー』の石井良和。
撮影は『ウルトラマンギンガ 劇場スペシャル』の高橋義仁と『未成仏百物語 AKB48 異界への灯火寺』の砂原洋一。
照明は『ROKUROKU』『映画 としまえん』の田村文彦。
録音は『特撮喜劇 大木勇造 人生最大の決戦』の飴田秀彦。
オリジナルコンセプトデザインに「仮面ライダー」シリーズなどのデザイナーとして知られる高橋章。
怪獣デザインは『ゴジラVSビオランテ』から『ゴジラ FINAL WARS』まで怪獣デザインを担当した西川伸司。
特殊造形に『ゴジラVSメカゴジラ』以降のシリーズ『大怪獣のあとしまつ』の若狭新一や『狭霧の國』の松本朋大。
「雲の神様」と呼ばれる背景絵師・島倉二千六らも駆けつけた。

出演者は、ヒロインの時宮朱莉役に、NHK大河ドラマ「八重の桜」『屋根裏のラジャー』では声を担当した鈴木梨央。
相方の少年・城戸卓也役は音楽ユニット「Foorin」のメンバーとして活躍した楢原嵩琉。
ジェームズ役の町田政則は実写テレビ「忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ」でハットリくんをやった大ベテラン。ウルトラマンティガ第49話『ウルトラの星』では謎の怪獣バイヤー・チャリジャをコミカルに演じている。
イーサン役は10神ACTERの馬越琢己。
スーザン役は『においが眠るまで』の吉田羽花。
監督役は『シン・ウルトラマン』『日本沈没』の樋口真嗣。
業界関係者役は元フジテレビアナウンサーの笠井信輔。
業界関係者役は「炎神戦隊ゴーオンジャー」の春日勇斗。
時宮優子役は『ゴジラ×メカゴジラ』『修羅雪姫』の釈由美子。
穂積役は『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー』の斎藤工。
そして村瀬自身を思わせる怪獣造形師・時宮健三役は『ウルトラQザ・ムービー 星の伝説』『幽霊はわがままな夢を見る』の大ベテランの佐野史郎。
女子高生役に塚本このみと柳澤花など。

錚々たるスタッフ・キャスト陣である。

●『DREAMS COME TRUE』参加のわけ

そして、今回特筆すべき点は、主題歌をDREAMS COME TRUEが提供している所。

自主製作からスタートの作品では異例なのだが、これは村瀬とドリカムのボーカル・吉田美和が同じ北海道の池田町出身だった事がきっかけである。

一緒に食事をしていて北海道から東京へ出て来て活動を続けている事や故郷池田町に対する郷愁や恩返しなど共感する気持ちが多かったため、村瀬継蔵が初監督する映画化の話になりドリカム側も「喜んで」も参加となった。
主題歌「Kaiju」は、村瀬の「怪獣愛」に応えて生まれた作品だが、村瀬たちの見てきた景色、故郷・池田町への思いや人生の賛歌を織り込んでたからかに歌いあげている。
また、多くの特撮・怪獣ファンのみならず、夢を売り続ける仕事をやっているクリエイターたちにも強く滲みいる内容である。
プロデューサーの佐藤大介は、一番最初これを聞いた時に感動して号泣したという。

主題歌「Kaiju」
作詩:吉田美和 作曲:吉田美和  編曲:中村正人

●日本のお家芸と云える「特撮技術」の結晶

こんな苦労の末、出来上がった映画『カミノフデ ~怪獣たちのいる島~』は、まさに村瀬継蔵監督の人生そのものをトレースしたような作品で、村瀬を思わせる父親・時宮健三の想いを若い世代が受け継いでゆくという「ジュブナイル」な物語でもある。

村瀬監督自身が実際に体験したり、考案したテクニック、思い出、発見などが作品の随所にちりばめられている。

しかし、中でもやはり重要なのが特撮シーンである。
もちろんデジタル撮影なので処理や編集でコンピューターやCGの技術も使われているのだが、かつて円谷英二が培ってきた実際に現場で造って、壊してきた”質感のあるアナログ的な特撮シーン”が何より魅力なのだ。

怪獣造形、着ぐるみ(スーツアクション)、ミニチュアワーク、操演(そうえん)、爆破(パイロテクニック)、光学合成などなど。

中でも怪獣たちの造形には特に村瀬監督の想いが詰まっている。

“ヤマタノオロチ”はかつて村瀬監督が携わった『日本誕生』に登場した八岐大蛇や『三大怪獣 地球最大の決戦』などのキングギドラを思わせる大怪獣だ。炎を吐くところは『大怪獣ガメラ』のよう。クレーンで吊って総勢15人で動かしたという。

“ゴランザ”はオリジナル怪獣だが、天敵のキノコの森は『マタンゴ』を思わせる。
ファンタジー色を強く出した”ムグムグルス”は羽音も『モスラ』で親近感を覚える。
“怪魔神”は『大魔神』をイメージし、”巨大原人”は『北京原人の逆襲』を思いだすフォルムになっている。

●子供から大人まで楽しめるファンタスティックな物語

村瀬監督の気持ちの中には”怪獣は子供のためのもの”というお考えがあるようで、『カミノフデ』に登場する怪獣たちは、昨今の”リアルで恐く殺伐とした”怪獣ではなく、何処か可愛く愛すべき一面を持つ異世界の生物として描かれている。

『カミノフテ゛ ~怪獣たちのいる島~』は時宮健三の幻の台本「神の筆」の中に描かれた謎の孤島に、少年と少女がワープしてしまう一種のパラレルワールド(並行世界)ファンタジー物でもあるのだ。

番組制作の中に作っている劇中劇の登場人物「怪人オヨヨ」が現実に飛び出して来て、ディレクターたちを脅迫したり犯罪を起こし、何処からが劇中劇の虚構で、何処からが現実なのかその境界が徐々に曖昧になってゆく1972年のNHKの少年ドラマシリーズ「怪人オヨヨ」や、”いじめっ子怪獣”ガバラにいじめられているゴジラの息子ミニラを助けるため、怪獣島に乗り込んで行く内向的な小学生・三木一郎の冒険を描いた夢物語『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(1969年)などの設定を思い出す。

●怪獣映画の未来に期待

カミノフデ~怪獣たちのいる島~』は3月大阪でのお披露目、7月26日からの東京・大阪での公開を成功させ、8月30日(金)より、いよいよ全国のイオンシネマ等で拡大公開中である。

御年90歳を迎えられた村瀬継蔵監督、本作をヒットさせ、舞台挨拶でも約束したとおり、是非新作にチャレンジして欲しい。


そして日本の伝統文化である「特撮」のスピリッツを、ぜひ次世代に繋いで行って貰いたいと切に願う。

映画『カミノフデ~怪獣たちがいる島』予告編
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この記事を書いた人

SF、ファンタジー、ホラー、アニメなど“サブカルチャー系”映像世界とその周辺をこよなく愛し、それらを”文化”として昇華するため”の活動を関西で続けるFantastic Messenger夢人塔(むじんとう)の代表。1970年代より活動を開始。映画コレクター、自主映画、同人誌を経てプロライターへ。新聞・雑誌への掲載、映画会社の宣伝企画、DVDなどの協力、テレビ・ラジオの出演・製作、イベント・講演、専門学校講師、各種企画などグローバルな活動を続けている。
著書は『アニメ・特撮・SF・映画メディア読本』『ライトノベル作家のつくりかた』シリーズ、『アリス・イン・クラシックス』、『幻想映画ヒロイン大図鑑』他、青心社のクトゥルー・アンソロジーシリーズで短編を書く。雑誌「ナイト・アンド・クォータリー」「トーキング・ヘッズ」に連載。映画は『龍宮之使』、『新釈神鳴』、『ぐるぐるゴー』、『おまじない』などを企画製作。最近は「もののけ狂言(類)」と題して、新作の”幻想狂言”を発表している。また、阪急豊中で約半世紀の歴史を持つ治療家でもある。
夢人塔サイト http://mujintou.jp/

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