【特撮ゼロ】読者参加企画『私にとってウルトラマンネクサスとは?』募集開始。

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こちらも昨日発表いたしました『特撮ゼロ VOL02』ウルトラ特集。
その読者参加企画の発表です。

今回のお題はウルトラマンネクサス

ウルトラマンネクサスNEXUSEED (ファンタスティックコレクション)

そのネクサスについて、読者の皆様に思いを語ってもらおう
という企画です。

絶賛の声も、批判の声も、とにかくネクサスに対する強い思いがあれば何でも!

題して私にとってウルトラマンネクサスとは?

以下、企画意図などを詳しくご説明します。


●企画意図

まず今回のネクサス特集ですが、
普通の過去作特集のように、
その内容や作品の特徴・素晴らしさを改めて振り返る
という要素の他に、もう少し新しいテーマを考えておりまして。

それは10年後の今、ネクサスという作品が、
見ている視聴者に、
スタッフに、
そしてウルトラ世界に、一体何を残したのか?
ウルトラマンネクサスとは一体なんだったのか?
というもの。

ちょっと難しいテーマですが、それにチャレンジしてみたいなーと。

そのために、
私も含めネクサスを見た視聴者の意見を集めて、
それをスタッフの方々にぶつけてみて
それから起こる様々な反応(お話)をまとめていきたいなと思っているんですね。

もちろん初めての試みなので、まだ、
いただいた皆さんのご意見をそのまま読んでいただくのか?
それとも編集部の方でチョイスして質問という形にまとめるのか?
そして、こういう形式自体が果たして機能するのか?

もはっきり固まっていなかったりもするんですが...
でも新たな事にチャレンジしたい!という気持ちが強いのです。
ネクサスという作品がそうだったように。

ですから、これまでの読者参加企画と違って、雑誌のページに掲載する
という事も、今回は確約できなかったりします。
(もちろんできるだけそうなるようにしたいとは思っていますが)

そういう所にご賛同いただける方のみご参加くださいませ。

では、応募の仕方をご説明いたします。

●応募方法

応募のやり方は、いつもと同じで

(1)twitterで内容をつぶやく
(2)この記事にコメントする

の2通りです。

twitterの場合

(文例)

●twitterの場合

こんな感じで、最初に入っている #zero_nexus がハッシュタグとなります。
このタグを呟きのどこかに入れていただくだけ。
あとは字数の範囲内で自由につぶやいてください。

編集部で定期的にハッシュタグを検索して、内容をチェックいたします。

コメントの場合

この記事の下部の方にあるコメント欄で、書きたいことを入力してください。
(お名前はしっかり入力してくださいね。)

またコメントの場合、twitterのような字数制限はありません。
思い切り思いの丈をお書きください。

ネクサスって見た時のそれぞれの環境や立場に大きく影響される作品だと思うので、できれば、当時のみなさんの立ち位置(小学生でしたとかもアリ)も交えて書いていただくと有り難いです。

また応募にあたっては下記の注意事項があります。

●注意事項

  • 今回は必ずしも誌面に掲載されるとは限りません。
  • 呟き&コメントに関して謝礼はありませんが、誌面に掲載する場合はそのページにお名前を掲載させていただきます。
  • 掲載の場合、お名前はtwitter名及びコメントネームとなります。
  • 応募は基本お1人につき1回とさせてください。

これらの注意事項に了解していただいた方のみご応募お願いいたします。

締め切りは日にちが余りないのですが、
週明け(2/2)まで
という事にさせていただきます。

それでは、ご応募の方、お待ちしております!(^^)/


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特撮ゼロ / 最新5件のエントリー

Comments [29]

No.1

ウルトラマンネクサス。
久しぶりの新作TVシリーズだったので大いに期待していました。
ホビー誌などで続々と情報が出る中、今度はコスモスとは真逆の路線で攻めるんだと驚かされました。
いざ始まってみると、そこには人知れず異形の怪物たちと戦い続ける隊員の姿がありました。
そしてウルトラマンは防衛チームに所属しない人間が変身する、この設定も斬新でした。
何もかもが新しい、これは凄い作品になるのではないかと期待感が更に高まりました。

しかし話が進むにつれて、悪い点ばかりが目に付き始めました。
話や画面の暗さは仕方ないとしても、ウルトラマンが敵を全然倒さないのです。
連続ものなのである程度そういう展開も必要だとは思いますが、同時期の他作品と比べてもどうかと思うほどです。
これにはちょっと拍子抜けしてしまいました。
更に孤門への精神攻撃が始まり、ウルトラマンさえロクに出ないお話も目立ち始めました。
しかもその展開が長い、とてつもなく長い。
「この番組は面白いのか?」
そういう考えが話が進むにつれて頭の中で大きくなっていったのを覚えています。
当時は学生でしたが、土曜の朝にリアルタイムで見続けることに段々と嫌気が指したのを覚えています。

孤門が立ち直った辺りからは楽しく見ていましたが、ネクサスは序盤の陰鬱なイメージがあまりにも強いです。
結局は1クール分の放送が短縮されてしまい、早々に後番組が立ち上げられるという話を聞いた時も思わず納得してしまいました。
最終話まで完走した今となってはネクサスは間違いなく「面白い作品」だと思います。
面白い作品なのですが、見る度に「何でこうなってしまったんだろうなぁ・・・」と心のどこかで思ってしまう不思議な物語です。

No.2

土曜日の朝からウルトラマンが始まると知って、思わず眺めて見たのが運の尽き。
グロい怪獣、容赦なく食われる一般人、巻き込まれる無力な主人公、そして振り下ろされた銀色の腕。
なんだこれはと見続けて、朝から鬱全開の超展開からズタボロにやられるウルトラマン。
厨二心に「コレは子供ウケしないわなぁwww」と思いながらも、最後まで見るのを止めれなかった。そんな作品がこのウルトラマンネクサスだったと思う。

18歳という当時の年齢が良かったのか悪かったのか、毎週半笑いながらも楽しく見れていたのは間違いない。
加えてそれが、創作を趣味とする者として自分の作風に大きな影響を与えられたという確信もある。
大人になってからDVDやサントラを一通り揃え、改めて大好きな作品であると胸を張って言える。

ただやはり、何度も負けるウルトラマンや何度も出てくる怪獣、陰鬱とした展開の数々は一般的に受け入れがたい作品なのだとも思う。
大好きだけど薦め難い。そんな不思議な魅力とカタルシスを秘めた奇作。
どんな絶望に覆われようとも、絶対に『諦めない』ことを教えてくれる快作。
それが、自分にとっての『ウルトラマンネクサス』。
…もう一回通しでみようかなぁw

No.3

 初めまして。マサチカ@光光太郎です。

 「ウルトラマンネクサスとは一体なんだったのか?」ということについて、こちらの方で意見をお伝えしたいと思います。

 私がウルトラマンネクサスを初めて見たのは小学校中学年程度の時でした。今までのウルトラシリーズとは明らかに違う雰囲気に戸惑ってしまい、シリーズを見続けることはありませんでした…。
 しかし高校生の頃にTVシリーズや前日談の「URTLAMAN」を見返してみると、怪獣デザインの異質さやネクサスのヒロイックなデザイン、熱い主題歌等でどんどん引き込まれて行きました。「英雄」「青い果実」は最高の「等身大ヒーローソング」だと思います!(URTLAMANのメインテーマも最高です!)
 そして成人を迎えた今改めて振り返ってみると、ウルトラマンネクサスという作品は「人間が辛い現実と向き合い、精一杯頑張る姿」を見せていたと思います。辛く過酷な現実が目の前にあり、自分の力で乗り越えられないとしても、真正面から向き合い精一杯頑張って乗り越えようとする姿…それは登場人物が示していただけでなく、怪獣やウルトラマンのデザイン、主題歌、作り手の姿からも痛烈に伝わってきます。ウルトラマンネクサスはなにからなにまで異例づくしの異端児的作品ですが、その芯にある「他人に頼らず、自分の力で頑張る」というテーマは紛れもなく「ウルトラマン」そのもの。私にとってウルトラマンネクサスとは「最も人間臭く、力強い意志の力を感じる」作品です。

No.4

久々にコメントします。CSで初めて観た『ネクサス』ですが、実験作品だったと思います。怪獣1体を倒すのに1ヶ月かかったり、ヒロインのリコの悲しすぎる最期と後味が決して良くないと感じてしまう話があったと個人的に思ってます。それでも制作したのはウルトラシリーズの可能性を広げる為だったのかなと後々思いました。また平成3部作で描かれた「光vs闇」をより深化し全編通してやったという印象も受けました。

No.5

自分にとっての【ウルトラマンネクサス】とは?
当時、社会人駆け出しの頃でしたがこの作品を観たときは「こんなにも生々しいウルトラマンが製作できるんだ」と思ったのが忘れられません。複数の適合者、2形態の設定、そして生きる活力を与えてくれるストーリー。そしてなんといっても造形が超リアル!今見直してもこれ以上にリアルなウルトラマンはないと思います。光の戦士・光の巨人もいいけど、この【ネクサス】は自分にとっては最高の作品と思っています。

No.6

 当時の立ち位置を交えて書いてよいというので思い切り交えて書かせていただきます。
 私にとってのウルトラマンネクサス、それは「ウルトラマンシリーズに対する熱が再燃するきっかけ」であり、「愛すべき異端児」です。
 ネクサスの放映当時の私は中学二年生でした。その時の私は悪ぶりたくて、大人ぶりたくて仕方なく、夜遊びを繰り返すようなやっかいな子どもでした。そのような私にとってウルトラマンとはとっくの昔に興味を惹くようなものではなくなっていて、ガイアの頃まで喜んで集めていたウルトラ怪獣シリーズやダイブハンガーのような基地系おもちゃは物置の肥やしになっていました。
 そのような状態にあった私がネクサスを視聴したのは単なる気まぐれでした。そして引き込まれました。当時放映していた平成ライダーシリーズ第一期以上にダークな雰囲気と今まで見たことがないフォルムのウルトラマンが私の心を鷲掴みにしたのです。そのダークな雰囲気が自分のテレビを持ってなかった私に、堂々と居間のテレビでウルトラマンを観るという行為に対しての言い訳を与え、毎週欠かさず観ることを可能にしました。そうなるとネクサス熱は高まる一方です。ネクサスに憧れてこっそりとオーバーレイ・シュトロームの真似をしていました。ソフビやストライクチェスターのおもちゃは恥じらいが邪魔して買えなかったのでカードとPS2のゲームを買うことで自分を納得させたこともありました。ブルージュネッスのスピーディかつ大胆なファイティングスタイルにべた惚れし、イズマエルの禍々しくもかっこいい姿に見惚れました。最終回のノア光臨に至るまでの流れはそこまで視聴し続けた私にとって感涙ものであり、この作品を観続けて本当によかったと思いました。
 このように当時の私は悪ぶりたがっていたのが嘘のように無邪気に楽しんでいました。この流れでマックスも視聴し、そのまま今現在に至るまでウルトラ熱が続くに至りました。故にネクサスは「ウルトラマンシリーズに対する熱が再燃するきっかけ」なのです。
 そしてウルトラマンシリーズオタクを拗らせるにつれてネクサスの当時における世間の反応とそれを受けての諸々を知ることとなります。あまりにダークな雰囲気が本来のターゲットである筈の男児層に受けず、1クールの短縮されたというではありませんか。あまりに綺麗に終わっていたので当時の私は全く察することができなかったのです。成人した後に観返してみると、大人でも朝から観るには辛いほどダークな部分があることに気付きます。特にダークファウスト周辺の話は大変なことになっていて、斎田一家と山邑一家に対する惨い仕打ちには愕然としました。よくもまぁ無邪気に楽しんでたもんだと放映当時の私に驚いたものです。ダークな雰囲気に加えて、同じスペースビーストが何度も登場するのでなかなか新しいスペースビーストが出てこない、しかもグロテスクで醜悪なスペースビーストが大半とあっては、正直、放送短縮は必然だったと思います。
 だけど、それでも私はネクサスが大好きなのです。前述したダークな雰囲気も朝から観るには辛い展開も怒涛のラストに至るまでに必要なものであり、これがあるからこそあのラストで胸が熱くなるのです。グロテスクで醜悪なスペースビースト連中も、人とは決して相容れない邪悪な存在という性質を表わしていてとても秀逸な造形だと思います。そしてそれらと同じくらいに、これらの要素があったからこそ再びウルトラマンを観ることができたという事実が私にとって大きいのです。こうでなければ恥ずかしくて居間では観れなかったし、そもそも興味を惹かれなかったでしょう。賛否両論なのもやむなしな異端児、でも思い出深くて、作品としても大好き。だから私にとってウルトラマンネクサスは「愛すべき異端児」なのです。
 ネクサスという作品に出合えたことを心よりうれしく思っています。作品に関わった皆さんに感謝を。

No.7

ウルトラマンネクサス、とても好きな作品です。
特に終盤、憐が凪の言葉を受け「生きるために」変身するシーンは何度も見ては興奮していました。

しかし、ウルトラマンという作品の中、或いはヒーロー番組としては失敗だったのかなと思ってしまいます。
当時は小学校中学年でしたが、当時正直ネクサス、特に前半(姫矢編)はあまり面白いとは感じませんでした。中学生くらいになって見直して「こんなにおもしろかったのか!」とは思いましたが、ヒーロー番組でそれはダメだろうと。子どもの憧れであるヒーローが主役の番組でなぜトラウマを量産させるような作風にしたのか、仮にそういうコンセプトだったとしてなぜウルトラマンにそれを払拭させるような活躍をさせなかったのか、今でも疑問です。

No.8

Twitterをやっていないのでコメントさせていただきます。

ウルトラマンネクサスを初めて観たのはリアルタイムの2004年ではなく2009年の夏でした。
2004年当時は存在は少し知っていたものの1話も観ることなく、流れました。
ウルトラ主題歌CDを買ってもネクサスのテーマソングしか収録されなかったので、
その明るい曲調から、従来の作品みたいなのかなという固定観念がありました。

きっかけは動画サイトでネクサスのMADを観たからだったと思います。
「観たい!!」という感情がすごくわいて、DVD1巻をを購入しました。

1巻を観たときに次も観たいと思い2巻、3巻と購入し、観ました。
隊員の主人公が変身しないとこが好きですね。
もし孤門が変身していたら「従来と一緒」と感じ、観るのを止めてたと思うぐらい。
ネクサスも序盤までは「従来のウルトラ」と比較して、
ここは一緒か残念、ここは違うからいいなといった感じで観てました。
何かと当時はウルトラの状態が嫌で、そんな見方をしてたのかなと思います。

でも3巻、特に4巻はやりすぎって思うぐらい、くどく、暗くで、ため息が出ました。
4巻のノスフェルの話は本当に好きではなく観る回数も少ないです。
最後の孤門とウルトラマン(姫矢)の絡みは好きなんですけどね、そこに辿り着くまですごく長いっていう笑。

ネクサスは5巻の後半から盛り上がってくるように感じます。
打ち切りが決まってスピードアップしたってのもあるかもしれませんが、
姫矢編の好きなところの7割は5巻後半、6巻といっても過言ではありません。

憐編は太田愛氏がメインライターということもあり、憐、瑞生、優といった人物がホント好きで、この人たちをもっと見たかったですね。
孤門と憐の関係もすきで、姫矢が兄貴分であったように今度は孤門が兄貴分で頼もしくなったのもよかったですね。
相棒などで太田氏の回を観ると、憐編に近いものを感じます。
特撮も序盤からブラッシュアップされてたし、最高でした。
1クール+αぐらいの話数だったので、2話分を1話にしたりEX回があったりと、その点は残念でしたが。

川井憲次さんの音楽、doaの「英雄」「青い果実」もよかったですね。
余談ですがネクサスでdoaのファンになり全シングル、全アルバム購入するぐらい好きになりました。
勿論、最新アルバム「FLY HIGH」も購入しました。

10年経った今はわりと受け入れられてるといった印象ですが、ネクサスが大きく取り上げられるのも心が痛いと言うか、あまりオールスター興業に出てほしくないというのも事実で、世界観が好きだからってのもあるんですけど、新作をもしやるなら、ネクサスの世界観で小説やドラマCDみたいな感じでもいいかなって。

話し変わって、今のウルトラを観ている感じとしましてはネクサスのような魂の原点回帰、
新しいものを作っていく志は無くなってしまった印象です。
過去の物を使うという事は、正直もう止めてほしいかな。

メビウスから後ろしか向いていないと思います。
メビウスももうそろそろ10年です。
ギンガSでやってる事はメビウスと変わってませんよね。

でも銀河伝説は映像作品として新しいものを目指していたし、
銀河帝国やサーガも今までのウルトラ作品から前に進んでいたはずです。

姫矢編みたいな暗い作品は望んでませんが、憐編のように前向きな作品は作れると思ってます。

もっと書きたいですが、37話+α語ると長くなるのでこの辺で。

No.9

 ウルトラマンネクサスを見たのは中学生のときで、リアルタイムではなくDVDで見ました。2004年の当時はまだ小学生で、やっていたのは知っていたのですが、土曜日の朝に起きるのが億劫で結局1話も見ませんでした。その後ふとビデオ屋で見かけたので何の前情報もなしに見たら従来のウルトラとは全く違う作風に打ちのめされ、そのまま流れで一気見してしまい、今では一番好きなウルトラマンです。
 そのウルトラマンネクサスについて思うのは、クオリティがものすごく高いということです。物語中でフィクションなのは「ウルトラマン」と「怪獣」だけで、それ以外の登場人物・世界観にリアリティがあると感じました。だってもし現実に怪獣が出たりウルトラマンが存在したとしたら、そりゃ政府は隠蔽するでしょうし、隠密の特殊部隊をつくっても全然不思議ではありません。5話とかで防衛隊(ナイトレイダー)がウルトラマンを全く信用してなくて怪獣と一緒くたに攻撃をしかける、とかも「そりゃそうか」と思わず納得してしまいます。いきなり巨人がでたら不審がるに決まってますよね。21,22話で姫矢が人体実験されるのもショックではありましたが、ウルトラマンの力を兵器利用したいと考えるのは自然ですし、他の作品と違いしっかり成功させている(ウルティメイトバニッシャー)のも個人的にはよかったと思います。他にも政府の隠蔽を感じ取ったジャーナリストが政府機関に追われる、なんてのもあって、従来のウルトラにおける突っ込み所を塗りつぶすかのように練りこまれた設定には惚れます。ウルトラ作品というカテゴリーから外しても十分成立すると思うほどです。
 もう一つ思うのは、洗練された特撮技術とキャラ造形です。なんてったってネクサスがカッコイイ!アンファンスのシンプルさもいいですが、ジュネッスの銀・赤・黒という男の子の大好きな色を見事に調和させたあのデザイン!後ろ姿に痺れます。そんでジュネッスブルーはマイナーチェンジ版とは思えない程のスタイリッシュさを醸し出していて……。要は全部カッコイイってことですよ!アクションシーンもきびきび動いて、見ていてダレることがありませんでした。しかしなんといってもあのメタフィールドにダークフィールド!見ていた当時はCGすごいなーと思っていたら、あれ全部照明と背景で作っていたと知って、特撮ってスゴイ!と思ったものです。付け加えるなら、板野サーカスがスタッフに加わっていたので、フルCGの空中戦は圧巻の一言でした。
 ストーリー面でも、ウルトラマンが代替わりするので変身者の話を掘り下げてくれました。姫矢は過去のトラウマに縛られ、憐はすぐそこの未来の死に縛られ、でもどちらもその中であがき続ける。いい感じに対称性と同一性がマッチしていると思います。
 実際にはネクサスは打ち切りでしたが、一切妥協せずに走り切ってくれたからこそ、こうやってずっと頭の中に残り続けているのかな、とも思います。ま、色々言いましたけど僕の言いたいことはたった1つですね。ウルトラマンネクサス、スゴイ!面白い!大好き?
 長文、失礼しました。

No.10

ウルトラマンネクサス、最初に見た印象は「新しいな」というものでした。
それまでのウルトラシリーズとは全く違う路線は当時高校生だった自分としてはかなり面白く見ていた記憶があります。

ただ、話が進んでいく中で少しずつ違和感を感じてもいきました。

「この作品はウルトラマンなのか?」

ウルトラマンは出てきます。

怪獣はいます。

防衛チームもいます。

ただ、それまでのウルトラシリーズから感じていた面白さとは違うものを感じてもいました。

それでも初期の頃は純粋に楽しんでいましたが、ファウスト登場の辺りから段々と見ることが辛くなっていきました。

特撮作品で見るのを辞めようかと思ったのははじめてでした。

それでも批判するにしてもまず見なければならないと思い、半ば流し作業として見ていました。

しかし後半、映画『ULTRAMAN』との繋がりが見え始めた頃からは夢中になって視聴しました。

賛否両論ありますが、私は映画『ULTRAMAN』は非常に面白いと思って見ていたので…………

最終回で弧門がネクサス、そしてウルトラマンノアになった場面にはかなり興奮しました。

全てのウルトラシリーズの中でもかなり好きなシーンです!

最終的にネクサスはしなければならない挑戦だったのだと思っています。

長く続くシリーズに向けられたマンネリ化の否定

繰り返す定番への疑問

新しい分野へのチャレンジ

挑戦の方向性をウルトラマン、ひいてはヒーロー作品が向けるべきではない方向に向けてしまったのは否めませんが、ネクサスだからできたこと、ネクサスがあったからこそわかったことは現在のウルトラシリーズを確かに支えていると思います。

No.11

 ネクサスの思い出は、番組そのものよりも同時期のブログなどに書かれる否定的な意見の方が印象に残ってる気がします。
「なぜこんな暗い作品なんだ」「一般人が悪趣味に死ぬなんて!」
 もう見ない、見たいな書き込みを見るたびに、その不快感こそが作家が感じてほしかったものなのか、なぜ思わない? などと思っていました。

 放送当時は駆け出しの社会人でした。
 その後、縁有って街の消防団に参加しています。
 そこでの経験から言わせていただくと、「人間なんてあっさり死んでしまう」
 物語の王道として散々使われる、フラグとか仲間のための高潔な最期、などという事は狙ったって起こらない。
 
 そんな現実に対しスタッフの「それでも何とかして生きていくんだ! 生きてくれ!」という願いを、怪獣とウルトラマンに込めた作品だと思います。

No.12

今回はツイッターではなくこちらで。

放送当時、小学5年生だった私は雑誌でウルトラの新作をやると知り、大変喜んでいたのを今でも覚えています。それも放送開始前に発売されていたソフビ人形を修学旅行で使うお小遣いで買ってしまうほど。

第1話の放送日は早起きして見てみると、最後の最後にしかウルトラマンは出て来ず、しかも小さいペドレオンにパンチして終わり。そんなスタートに戸惑いを隠せませんでした。

それから続けてやっと4話でビースト撃破、5話ではナイトレイダーにウルトラマンが攻撃されてしまう展開などを見て、段々と内容について行けなくなり途中でちょくちょく見る程度になってしまいました。

再び見るようになったのは中学三年生の頃でした。「メビウス」以降自分の中でウルトラ熱が再燃し、過去の作品を見るようになり、当時は内容が分からなかったけど見てみようかと思いまた見始めました。

するとみるみるハマっていき、複雑だし暗すぎるけどなんて面白い作品なんだと思いそのまま最終話までノンストップでした。特に最終話のノアが登場するくだりはこれまでの鬱憤を晴らすかの如くカタルシスを感じ、涙が出そうになりました。

私にとって「ウルトラマンネクサス」はとても大好きで、でも色々な意味で後々に影響を残してしまった作品ではないかと思います。

では長文失礼いたしました。

No.13

ウルトラマンネクサスは劇場映画から始まる大プロジェクトとして始まり、ひっそりと終わってしまった作品。ですが、数あるシリーズの中で特異な存在感を感じさせる作品であると思います。

一番惜しいと思ったところは終盤の展開。凪がデュナミストに選ばれてからの展開が駆け足で終わってしまったところです。あと1クール描くことが出来ればまだ見ぬ地平線が望めたかもしれないと思っています。

放送時間帯の不遇を作品の内容で跳ね返すことが叶わなかった。その失敗点は野心作を世に送り出したいと願いつつも同時期の「ウルトラQダークファンタジー」などで紡いでいた寓話的要素を廃してヒーローもののカタルシスも意図的にねらったこと。省みれば、ティガの最終回で「誰でも光になることができる」点、これを「受け継がれる」資質として描いてみたのかもとも思います。

クールな隊員の中に陽性な隊員もいたりすればドラマの柔の部分を請け負ってくれたかもしれません。前半の陰鬱な展開の中での救いになったかとも思います。残念ながら初見からもう一度見直す機会もなく、再放送の機会にもあまり恵まれていません。その後のウルトラシリーズでノアは何度か登場しています。初代ウルトラマンにさかのぼったノアの神。ウルトラマンゼロを待っていたノアにしても、スタッフの情熱はまるでクールな作品とはうらはらに溶鉱炉の鉄のようであったとも思います。

No.14

当時はストーリーがハードすぎて、正直、見るのがちょっと辛かったですね(爆)。今でもお気に入りのウルトラシリーズとは言えませんが、最終回にネクサスのテーマでもある「あきらめるな!」、という言葉は今も深く心の中に刻んでいます。予算や視聴率、両方とも厳しいそういう状況の中、自分なりに一生懸命いい作品を作ろうとしたスタッフたちの心境でもあると思います。私自身はどっちかっていうと正統派のウルトラが好きの方です、結構好みだった前作、ウルトラマンコスモスの「信じればきっと、夢は叶う」という万人向けのテーマとは裏腹に、こっちは現実の厳しさを教える、完全に大人向けの作品でした。ウルトラ特有のいい感じなギャグ話もこっちでは全く見当たりません。その上、デザインのグロいビーストや民間人の前では戦えない防衛チーム。そんな原因で子供受けが悪かったのか、視聴率はずっと低迷のままでした。それでも渋谷プロデューサーは番組の路線変更を拒否した、「路線変更は視聴者に対する裏切り行為」だと思ったからです。あの頃の私はこれを見て深く同感しました。「80」みたいに、軽率な路線変更をすれば、番組はさらにめちゃくちゃになるだけだと思いました。ネクサスは結局、自分の好きな作品にはなれませんでしたが、製作スタッフ一同のド根性や作品への思い入れが見えたのです、まさに孤門くんの言ったとおり、何ごとも「あきらめるな!」の精神が大切です!

No.15

コスモスでウルトラマンと接し始めた息子は 放送当時、5歳。
自分は初代ウルトラマンの時代から観ているオヤジですから「息子にも見せるぞ」の意気込みで 放送開始を知ると 親子揃って楽しみにしていました。
しかし 話が進むにつれ、父親として「これは幼児には厳しい内容だぞ」と思う否定的な立場ともなりました。
幼児にとっては、あまりに暗い内容。
「幼児をターゲットにしていると」考えるか「マニア向け」とするかで意見が分かれる作品でした。
それでも最後まで息子と観切った作品。
「あきらめるな」という言葉の深い意味は、幼い息子には到底理解出来なかったと思いますが、この言葉のフレーズを引用し親子の会話に取り入れていたのも事実。
先日高校生となった息子とDVDを観返す機会がありました。
「10年早すぎたんじゃねぇ?」
息子が呟いた言葉です。
これは 彼が成長したから鑑賞できたという意味と、作品自体の発表が今だったら評価が違ったという両方の意見でした。
個人的意見ですが 昔から幼児向けに専念している戦隊ものと 最近は幼児向け(戦隊ものと変わらない路線)傾向になりつつある仮面ライダー。
商売としては、それが正解としても、奥深かさとしては物足りない気がします。
ネクサスは「幼児向け販売戦略としては、世間の風潮にさらされ失敗。奥深かさや衝撃的な印象を残すことが出来た作品」ではないでしょうか?
年齢を重ねても観返すことが出来る作品ではないでしょうか?
また凪が変身するシリーズがあったなら…とも想像を膨らませてくれる作品ともなりました。

No.16

 小さい頃好きだった円谷作品、その思いを復活させるきっかけとなったのがウルトラマンネクサスでした。
 Ep.1の、最後の最後、ペドレオンを拳ひとつで叩き潰す銀色の巨人。あの衝撃、あの巨大感を忘れることができません。
 これまでのウルトラマンとは明らかに異なる展開で、「怪奇大作戦」を思わせる、人間の闇や執念のようなものが描かれていることにも引き込まれました。
 ウルトラマンネクサスは、「人間ドラマ」だったと思います。人間が持つ喜び、悲しみ、怒り、不安、恐怖、そういった感情とどう向き合い、立ちはだかる困難や宿命を前にどう進んでいったのか、それが登場人物たちの複雑な関係の中で表現されていました。
 川井憲次さんの音楽も、この作品をつうじて初めて知りました。あのリズミカルでドラマチックなサントラを、今も何度でも繰り返し聴いています。そしてdoaさんの「英雄」「青い果実」は、心を奮い立たせてくれます。
 ウルトラマンネクサスとは、「ウルトラマンとは何か?」「怪獣(スペースビースト)とは何か?」など、これまでの作品の前提を根本から問い直す、いわば「メタ・ウルトラマン」だったのではないかと思っています。
 最後にはどんな結末が待っているのか、どんな答えが用意されているのか、毎週ドキドキしながら視聴し、さまざまな掲示板サイトで展開を予想していました。
 その中での1クール短縮。その事実を知った時にはあまりのショックにしばらく立ち直れませんでした。それでもスタッフ・キャストの皆さんがファイナルまで走りきり、その異常なまでのハイ・テンション(ウルトラマンであのような感覚を味わったことはありません)を、視聴していた私たちも共有していたと思います。
 もし予定通り4クールだったら、という「if」を、今も思うことがあります。ストーリー展開に即して並べ替えたサントラを聴きながら、何らかの仕方でその「if」を形にしてくれないかと妄想する日々です。
 あらためて「ウルトラマンネクサスとは」、それは悩み苦しみながらも、生きる力を与えてくれる英雄譚だと思います。

No.17

私がウルトラマンネクサスに出会ったのは小学校中学年の頃でした。第一話はその日が運動会だったこともあり、早起きしてリアルタイムで見たのを覚えています。1話はわくわくしました。

ぺドレオン戦は4話までろくにウルトラマンが活躍せずに、1話の「これから凄いかっこいいウルトラマンが見れるんだ」という期待が徐々に消えていき、次回予告を見ても「また同じ怪獣か・・」とがっかりした覚えがあります。(回想シーンでアラクネアとフログロスという2体も新キャラが見れた回はうれしかったです)
姫矢も人間に攻撃されていて、しかも中々敵を倒せずに可哀そうだと思っていました。
しかしそれでも半年間ウルトラマンとして戦っていたのに憐に変身する人が変わったときは戸惑いを隠しきれませんでした。てっきり姫矢のパワーアップ形態だと思っていたので。

とはいえいざ見てみると憐編は出てくるビーストも1話で倒されることも多く、ナイトレイダーも団結するようになったり、姫矢編では嫌いだった溝呂木が大好きになるエピソードがあったり、毎回ネクサスを見るのが楽しみになりました。

そして最終回、まさか弧門本人がウルトラマンになるのは驚きでした。ジュネッス、ジュネッスブルーと姿を変えて、最後はジュネッスゴールドとかになるのかな・・と思ったら雑誌やソフビでしか見たことのなかったノアの登場に「繋がった・・!!」と感動しました。本当に泣きそうになりました。

しかし終わった後のネクサスはウルトラヒーローとして居なかったことになっているのかというような不遇な時代が続いていたように思います。ウルトラマン大集合ポスターにコスモスとマックスはいるのにネクサスはいなかったり、CDのアルバムにネクサスの歌が入っていなかったり(これはレコード会社の版権が理由なのでしょうが)。


最近はゼロの映画に出演したり度々列伝で紹介されたり、ウルトラアクトで出たりとネクサスの露出が増えていったと思います。ネクサスは苦しい思いをたくさんしてもあきらめなかったからこそ今の姿があり、そして多くのファンがいるのだと思います。私もその一人です。

出来れば撮影だけして公開されていない映像があればなにかしらの形で公開してほしいと思います。もちろん37話のネクサスも十分面白いと思いますが

No.18

当時、私は、映画のウルトラマンネクストの続編でもがあって興味ありました、久々のウルトラマンシリーズのTVが始まるのですごい期待していまして、ストーリーも、面白いと思って毎週楽しく見てました。。只、短所の部分で思うのが、朝の番組でグロテスクな悪魔的キャラクターで大人的な作りになっていたので、幼児の子供とおかあさんには、受けが悪かったようで人気がなかったですね。悔やまれるのが、夜中の時間帯の放送だったら人気が落ちなかったような気がします。後番組のウルトラマンマックスの方が明るくてさわやかな感じで子供の受けがよかったです。ネクサスは、宇宙人襲来のリアルなストーリーが良かったのですが、放送時間帯を誤ったのと、視聴世代のターゲットを間違えたのが悔やまれます。

No.19

ウルトラマンネクサスは、私にとってはひとえに「本物のヒーロー」でした。

85年生まれの私はビデオで昭和ウルトラシリーズを見続け、ついに平成ウルトラマンシリーズはリアルタイムで視聴することが叶いました。ティガを小学生のころから視聴し続けて、ネクサスを見る頃には看護師を目指すために大学生になっていました。そのときに出会ったのがネクサスで、第一話でペドレオンに叩き込んだ渾身のパンチの一撃は有無を言わさぬ巨大な力を思わせましたし、これから始まる新しい物語への期待も膨らませるに十分なものでした。事前情報で、変身者が変わっていくということを聞いてどんな話になるのかとイメージを膨らませていました。
しかしティガで人が光になり、ダイナでさらにその先のネオ・フロンティア時代へ、ガイアでは地球の力を手にして人間のみならず怪獣たちと共闘、続くコスモスではついに怪獣や外敵とも共闘どころか和解し共存の道まで提示し、ウルトラシリーズのテーマの答えとしては究極の完成形をみたのではないかと思っていました。ところがネクサスのスペースビーストは、ほぼこちらの感情移入すら許さぬ異形の怪物で、ネクサスもそれを必殺の構えで迎え撃つものとして描かれたことに、良くも悪くも衝撃を受けたことを覚えています。

今も昔も言われていますが、これまで1話完結(とはいかなくとも1話に怪獣や宇宙人が1体以上出現)だったシリーズにおいて、同一個体が連続で、しかも倒されずに出続けることにはカタルシスの無さという点で苦痛でしたし、ガルベロス・ノスフェル・ダークファウストが連なる中盤は物語自体が暗く、重く、陰湿でドロッとしたものが心に残ったものです。当時、視聴が辛くて見るのをやめようかと考えていた時期に、yahoo掲示板でネクサスのトピックでで同様の思いを抱いた投稿者たちとともに、励ましあいながら視聴していたのは今でも良い思い出です。普通、そんな励ましあいながらわざわざ土曜日に早起きしてまで視聴するなんて有りえない話です。今にして思えば、今まで大好きだったシリーズに対して、そこまで思わせるほどのインパクトを与えていたことは凄まじいことでした。劇中の人物も辛い思いをし、それを受けた視聴者もまた辛い思いをし、しかし一緒に乗り切っていく気持ちで視聴できたのは、ウルトラマンネクサスという作品が最初で最後です。この経験ができたことはウルトラファンとしても、特撮ファンとして至上の喜びだとさえ今は思えます。本来、ヒーローと言われる存在でさえ、賞賛ではなく批判を浴びせられたり、ときには精神的にも物理的にも攻撃され、たとえ理解者がいなくとも、ひとに受け入れられることがなくても、それでも信じるもののために、使命を果たすために戦い続ける姿勢を孤門、姫矢、憐が見せてくれたことが今の自分を支えてくれています。

だからこそ、ゴルゴレムが夜間に市街地へ侵攻しようとした際に街の光を背にして人知れず立ちはだかったネクサスの姿に感動し、メガフラシの襲撃から人々を守るために街中に出現したネクサスを見て感激さえ覚えたのだと思います。今までのウルトラシリーズでは街を守ることも、街中に出現することも当たり前でした。ですがネクサスという作品によって、そこに至るまでのドラマが描かれたことで今まで当たり前だったことの表現にさえ、心を震わせられたのだと思います。

千樹憐編からの怒涛の展開はまさしく目を見張るものがあり、一瞬たりとも目が離せなくなりました。放送短縮ということになりながらも、映画ULTRAMANとのつながりがわかり、クライマックスに向けて加速していく展開はいつの間にかネクサスの放送日を待ち遠しくさせていました。しかし、番組がまだ終わっていないのに、すでに明るく楽しく明快な作品としてネクサスの対極のように生まれたウルトラマンマックスのCMが挿入されるたびに、ネクサスが終わってしまう寂しさとこの作品が受け入れてもらえなかった虚しさを感じていました。こんなにも心を動かす素晴らしい作品になりつつあるのに、と。
そして最終回、姫矢、憐、凪、ついに孤門がその全てを受け継いでウルトラマンに変身したときには思わず声をあげていました。最強の敵を前にして、ひとりでも立ち向かう隊長を助け、次々に変身をして戦い抜き、最後に子どもの声援を受けてウルトラマンノアへ変身、ついには撃破!あの感動と興奮をリアルタイムで味わうことができ、その気持ちを共有できるひとたちもいてくれて本当に楽しく視聴できました。

ネクサスというとネガティブなイメージが先行しがちですが、実はかなりポジティブなテーマを持っている作品だと思っています。ヒーローも人知れず悩むし、挫けることもある。批判もされるし負けることもある。それでも頑張っていると、理解者がいて、その魂を受け継ぐものも現れる。敵を倒しても、まだ脅威が去ることはない。けれども諦めなければ道は開けていくし、未来を変えることはできる。だからこそ私にとっての本当のヒーロー像がネクサスだったのだと思います。

放送後もウルトラマンマックスを楽しく見ていましたが、一方でネクサスのことを追いかけていました。映画ULTRAMAN2の製作中止、ヒーローピクトリアル孤門編の発売中止、ヒーロー集合系のものでもネクサスだけいなかったり、そのあとには円谷プロの合併など、悲しいこともありました。しかし月日が経ち、ウルトラマン列伝でネクサスの特集が組まれたり、ゼロの映画にノアが出てきたり、今新たにフィギュアが発売されるなど、ネクサスの鼓動を感じられるようになったのは嬉しいことです。

ネクサスは興業的には失敗だったでしょう、当時の子どもたちに受け入れられない内容だったことも否めません。ウルトラシリーズとしては異端なものです。しかし私たち視聴者に知られないところで、それこそネクサスのように人知れず戦ったスタッフがいて、この路線を最後まで一貫して最終回まで届けてくれたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。

放送から10年たち、当時大学生だった私は今、夢を叶えて看護師として勤務しています。いろんな特撮ヒーローが好きで、あのヒーローたちのようになりたいと今でも思います。でも一番自分が辛いときに思い浮かべるヒーローはやっぱりウルトラマンネクサスで、どんなときも諦めない気持ちをもって日々生きていこうと思わせてくれています。助けられない命もあります、ご家族にお叱りをうけるときもあります、やめたくなる時もありますがこういった経験を次につなげて諦めずにやっていこうと思えるのは、どんなに辛い状況でも最後まで戦い抜いたウルトラマンネクサスの姿を10年前のあの日に見たからです。

No.20

なぜか誰もあまり気にしませんが、ウルトラマン・シリーズには、そのスタート時点から抱える一つの問題点があります。ハヤタとウルトラマンの関係性です。

セブンの場合、セブンとダンは同一人物なので構いません。しかしウルトラマンとハヤタはあくまで別の人格です。二人が一つの命を共有している。そしてウルトラマンは地球上で三分しか活動できないので、ハヤタの肉体を借りて滞在しているという設定です。

ではウルトラマンが出現したとき、ハヤタの肉体はどうなっているのでしょうか。作中でこの疑問に答らしきものが示される場面は二回しかありません。怪獣を倒したウルトラマンの両手からリング状の光線が出て、中からハヤタが現われるシーン。そして実相寺監督のテレスドンの回。

前者の場合、ウルトラマンが出現中、ハヤタの肉体はどこかに消滅しているようです。だとしたら、なぜなのか、新たな疑問が湧きます。ウルトマンがハヤタの中に憑依しているなら、そこから出て一つきりの命を使用中に仮死状態になって残されるならともかく、消えてしまう理由がわかりません。現に後者のテレスドンの回では、ハヤタは地下でフラッシュビームをたいた後に仮死状態のまま残り、その肉体から解放されたウルトラマンが地上に出てテレスドンを倒します。劇中ではナレーションが高らかに、ハヤタが眠っていてもウルトラマンは光の国の戦士だと宣言すらしています。少なくとも実相寺監督の解釈では二人の関係性はそうで、こちらの方がより妥当な設定といえるでしょう。

この食い違う二つの設定のうち、どちらが本当なのか、作中で明確には示されません。僅かに最終回で竜ヶ森以降のハヤタの記憶喪失が示されますが、だとしたらその間の意識はウルトラマンにのっ取られていたのでしょうか。メフィラス星人に自己のアイデンテティーを問われ、宇宙人と地球人の両方だと答えたハヤタの意識が、出現中のウルトラマンの中にないように見えるのはなぜでしょうか。要するに、ここには明らかに設定の混乱と矛盾があり、その問題点は最新作のギンガまで解決されていません。金城哲夫の創作したウルトラマン・ストーリーはあえてその部分を曖昧に、不問にすることで成り立ってきたといえます。

この不問が示すのはウルトラマン・シリーズはSFではなく、宇宙時代のファンタジーだということです。ファンタジーの中の設定は作者の恣意的な決定による部分が大きいので、その矛盾や混乱を細かく指摘しても無意味です。ファンタジーである以上、光の国というのは実在の惑星ではなく、国という概念であり、ウルトラマン自体も宇宙人ではなく、ある種の天上人です。だから後年の作のように光の国を具体的に絵で見せたり、ウルトラマンを人間として描き特訓などさせた時点で、金城哲夫のウルトラ・ワールドは崩壊してしまいます。ウルトラマン・シリーズとは、その崩壊と再構築を繰り返してきた歴史だったのではないでしょうか。

そのむしろ不毛な繰り返しの中に、突然変異のように現われたのがネクサスでした。ネクサスは前身のノア・プロジェクトから、新たな時代のウルトラマン像を模索していく過程で生まれた作品です。作り手がどれほど自覚的だったかわかりませんが、その方向性はファンタジーのウルトラマンをSFとして捉え直す試みだったと思います。

当時ネクサスの前日譚である『ULTRAMAN』の制作者がスパイダーマンに触れ、大人の鑑賞に耐えて世界的にヒットする映画がウルトラマンでも出来ないかと語っておられました。これも(無自覚的にせよ)ウルトラマンを曖昧で牧歌的なファンタジー世界から脱却させ、大人が見られるSF映画にしてみようという意図だったと思います。これはそれまでのシリーズの不毛な崩壊と再構築を長年見ていれば誰でも考えることで、当然の成り行きです。

ネクサスには、その思考実験の成果が詰め込まれています。隠密部隊のナイトレイダー、人知れず戦うウルトラマン、ウルトラマンを憑依させるためのデュナミスト、それが特定の人間ではなく移り変わっていくといった設定は、どれもハードSFとしてウルトラマンを考えたとき、現実世界に無理なく落とし込むための、いわば苦肉の策です。それが功を奏し、作品は前例のないリアリティを獲得しましたが、皮肉なことにその結果、一つのSF作品として成立してしまいました。ここでもまた、ファンタジーだった金城哲夫のウルトラ・ワールドは崩壊し、『ウルトラマンネクサス』という、ウルトラマンから派生した別の作品になってしまったのです。

その象徴的な設定がバトルフィールド、異空間です。これは従来のウルトラマンや怪獣という非現実的な存在を作中の現実から切り離すことで、現実世界と無理なく同居させようとした設定です。しかし誰にも気付かれずに戦えるなら、結局その中で誰が戦っていても構わないことになります。人間への憑依能力さえあれば、神と悪魔でも良いし、巨大ロボットや大怪獣バトルのような怪獣同士の戦い、あるいは大怪獣ラッシュのようなウルトラマンのいない戦いでも良いわけです。

これは一例ですがネクサスは全ての点において、非現実的な存在に説得力を持たせようと世界観の構築に腐心し環境を整えていった結果、逆にその中心にいたはずのウルトラマンの空洞化を招いてしまった作品といえます。

もちろんこのことは、作品の価値を貶めるものではありません。個別の作品としてみた場合、ネクサスはシリーズ最高といえる完成度を持っています。暗さや難解さは大人の鑑賞に耐える作品としてはむしろ美点ですし、デュナミストも人間である以上、トラウマの一つもあって当然です。ファンタジーだったウルトラ・ワールドが不問にしてきた点にあえて挑む志に満ちていました。ただその志があまりに高すぎて、主人公がウルトラマンでなくても良くなってしまっただけなのです。

ネクサスは興行的不振を理由に打ち切られ、シリーズは元のファンタジーに逆戻りしていきました。そして今も不毛な崩壊と再構築を繰り返しています。新たなウルトマン像を作れないまま後年の制作会社の衰退を招いた戦犯扱いされているようですが、少なくともクリエイションの部分で失敗作だったとは思えません。ウルトラマンを当時のSFの教養に沿って捉え直そうとすれば当然の発展形であり成果だったと思います。ただファンタジーだったウルトラマンを超え、SFとして突然変異してしまったことが作品面での長所であり、興行面での短所だったのでしょう。

その短所を理由に、この作品の秘めた大きな可能性に蓋をしてしまったことが、結局シリーズの縮小と閉塞に繋がっていると思います。ネクサス以降、全ての特撮やアニメの中で、これほど高い志を持って送り出された作品がどれくらいあるでしょうか。もっと評価されるべきですし、シリーズの新たな未来を切り開く力を今でも持っている作品だと思います。

No.21

はじめてコメントをさせて頂きます。
子供の頃から通わせて頂いていたのですが・・・このたび約7年越しでの初書き込みでとても緊張しています(汗)

ウルトラマンネクサス放映当時、私は小学校の高学年でした。
その頃の私は年齢的にもちょうど「特撮ヒーローを卒業する年頃」で、クラスの男子の間では「もうすぐ中学生なんだから、ヒーロー物はそろそろ卒業しなきゃ」という空気が流れていました。当時は私も同じ考えを持っていて、ネクサスの視聴も当初は”子供番組のウルトラマンを観るのはコレで最後にしよう”くらいの感覚だったのを覚えています。
ですが、第1話を見て「ん?ちょっと待て、これ何か違うぞ?」と、漠然とした違和感を感じ・・・
翌週視聴した第2話、凪副隊長がウルトラマンを撃ったところで放送が終わった時には「何かとんでもないモノが始まった!」と、前週の違和感が確信に変わりました。
記憶処理や情報操作によってウルトラマンやビーストの存在が隠蔽されているという設定は、少年だった私にとって説得力充分で「ぼくが知らないだけで、本当にこの世界にいるかも知れないぞ」という恐怖心を与えられましたし、孤門の苦悩もネクサスの苦闘もすべてが「こんなにリアルなウルトラマンは見たことがない!!」と私を心底興奮させ、もはやウルトラマン卒業どころでは無くなっていました。それまで生きてきた中で、一週間があれほど待ち遠しく思えたのは初めての事でした。

私が当時そこまでネクサスに魅了された原因は、きっと「ヒーロー物は子供番組だ」というイメージを子供心に持ち始めかけていた小学校高学年というタイミングで、そのイメージを根底からひっくり返されるような衝撃を与えられてしまったからだと思います。(勝利を確信してパンチを決めに行った相手から、とつぜん超強烈なカウンターをもらって一発KOされてしまったような感覚でしょうか(苦笑))
深く悩んだり傷ついたりすることが増え始めていた当時思春期入りかけの私は、主人公・孤門一輝に間違いなく自分自身を重ねて視聴していましたし、今も「人生の中で特に感動した出来事」を上げろと言われると、数々の思い出の中に1つだけ、まるで自分の実体験かのように「孤門がウルトラマンになった時」が思い浮かんでしまいます。

あれから10年が経ちましたが、私にとってウルトラマンネクサスとは人生のターニングポイントであり、”かけがえのない呪縛”を与えてくれた作品だと思っています。ネクサスに特撮ヒーロー卒業を阻止された私は結局その後も特撮ヒーローを見続け、今やすっかりイベントや映画館を飛び回る特撮ファンになってしまいました。でもそこには「いつかまたウルトラマンネクサスの時のような衝撃に出会えるかもしれない」という感情・期待が少なからずあって。結局、どれだけ感動的な大作に出会っても「ネクサスの時とは何か違うなぁ・・・」と心のどこかで感じてしまう10年間を今日まで過ごしてきました。
きっとあの衝撃は、子供から思春期へ移り変わる感受性豊かな時期に観たからこそ得られた”特別な感情”だったのでしょうし、二度と味わうことなんてできないと本当は分かっているのですが・・・それでも私は、いつかまたあの時のような興奮を味あわせてくれる作品に巡り会えるのをこっそり願いつつ、これからも大好きな特撮ヒーローを見続けて行くのだろうなと思っています。

No.22

前回は期限切れしてしまいましたが今回は投稿させていただきます。
私にとってウルトラマンネクサスはじめと今では見方が大きく変わっています。
順を追って説明していこうと思います。
放送前の情報を見たときは、主人公がウルトラマンではなく隊員というところから少し路線を変えて行くのだろうと思いました。また当時読んでいた特撮の本に載っていたアイアンキングに設定が似ていたためそのようなことをウルトラマンで挑戦するのかななんて感じていました。他に様々な今までとは違う設定で少し暗い印象を持ちましたがそれまでのウルトラマンないし特撮作品も様々な試みもされていたために基本的には正当なウルトラマンであるだろうなと思いました。
しかし放送を見るやこの作品はとんでもないことになっているなとひしひしと感じました。
ひとつストーリーが遅々として進まないところ、1体の怪獣が何話にわたって登場し続けるため勝利のカタルシスの薄さ、異常なまでに誇張しているホラー描写等…見ているのが辛くイライラしてしまいました。しかしウルトラマンが大好きな私は今後はテコ入れを期待しつつ我慢して見ていました。しかし一行に変わらず何ヶ月も過ぎていったためこの作品はウルトラマンはないなと思うようになり、打ち切りが決まり次作が原点回帰を意識したマックスに決まった時は正直ほっとしたところがありました。
その為あまりいい印象を持つことができずDVDBOXがマックス、メビウスとほぼ同時期に発売されても最初は買うことはありませんでした。
しかし大学生の時に参加したイベントで行われたネクサスの討論の中で今の特撮ファンはウルトラマンはネクサスから入ることが多いということを知り、周りのウルトラマン以外の特撮好きの友達をウルトラに振り向かせようと思いBOXを購入し見たところ見方が大きく変わりました。
DVDで見たところ一気に話に引き込まれて時を経つのも忘れ次の回次の回とみていき、気がついたらすべての回を見終えていました。その時に私はこの作品は全体でひとつの話を行っていたと始めて気づかされました。そう考えると怪獣の少なさも納得できるし、ホラーな場面も今後の盛り上げのための布石であったのだな感じました。
またBOXのライナーノーツや10周年を記念した関係者の対談映像から誕生背景などの制作秘話を聞いていくうちにこの作品はとてつもない葛藤なかから生まれた作品であることを知りそれでも最高のものを作っていこうとする作品であることを知りました。
そんなことも知り今ではネクサスもウルトラマンとして認め今では大好きな作品の一つです。

No.23

私にとっての「ウルトラマンネクサス」……今、振り返るに「諦めきれない」作品ですね。
『ULTRAMAN2 requiem』本当に観たかった! ネクサス本編でザギとの決着はついているので、こちらでは「ダーク・ルシフェル=ビースト・ザ・ファイナル?」を核にして、スペースビーストそのものに決着をつけて欲しかったというのが、当時から今でも変わらぬ「思い」です。
ダイナでのスフィアとの決着のようにきっちりとスペースビースト(Χ獣『かいじゅう』)と決着をつけられれば、作品としての完成度はさらにすばらしいものになったと思うと、本当に「諦めきれない」ですね。願わくば、『ULTRAMAN2 requiem』をどんな形ででも世に出してもらえないか。そう夢想せずにはいられません。
ただひとつだけ、これは私自身の感じ方ではあるのですが、あえて苦言を一つ呈したいと思います。それは、敵方のネーミングの問題。具体的にいえば、敵の固有名詞の頭にすぐ「ダーク」とつける事です。
ネクサス本編でも、ダークファウスト・ダークメフィスト、そしてダークザギにまでこの命名が為されていました。これは子供にはわかりやすいかもしれませんが、あまりに安直・安易を感じさせ、ネクサスの世界観から遊離・乖離していると思えます。確かに、操り人形に過ぎなかったファウストやメフィストには「ダーク」の冠名は似つかわしいかも知れませんが、真なる悪の主役たるザギ(彼もまた被造物であり道具でありますが、それを理由として歪んだ自我に目覚めたが故に真なる悪となった存在)には「ダーク」は不要だったと考えます。
これは、後に発表された「ダーク・ルシフェル」(ビースト・ザ・ファイナル?)にも、別作品ではありますが「ダーク・ルギエル」にも言えることだと思います。
名前は言霊、とても強い意味性と存在力を発揮する大きな要素です。
「ダーク」の濫用は、今後の作品においては是非避けていただきたいと心から願います。

ウルトラ作品の革命児たる「ウルトラマンネクサス」の未来に幸あれ! そう祈念して筆を置きたいと思います。長文、乱文にて失礼しました。


No.24

ウルトラマンネクサスは僕が一番好きなヒーローです。
ネクサスがやってたとき、僕はまだ4歳であまり見ていなかったのですが、中学生になってネットで動画を見たことなどがきっかけでまた興味を持ち、DVDBOXを買って全話見ました。
ウルトラマンネクサスという作品は内容が暗かったり難しかったりということで大人向けのウルトラマンとよく言われています。しかし何度も悩みながらも立ち上がり、最後にはデュナミストとなってダークザギを倒した孤門隊員の姿を見ると、「諦めないことの大切さ」という子供たちへの簡単だけどとても大切なメッセージが入っているのだと感じました。
僕はネクサスと孤門隊員に諦めないということを教えてもらいました!

No.25

『ウルトラマンネクサス』が商業的に成功しなかった原因の一つは宣伝にあったと思います。
『ネクサス』は従来の視聴者層である未就学児童より上の年代を対象に作られたそうですが、そこに対する宣伝が十分だったとは思えません。一例を挙げれば、コミカライズを『GS美神 極楽大作戦』で有名な椎名高志さんが担当しましたが掲載誌は未就学児童を対象とした『てれびくん』でした。いくら未就学児童より上の年代を対象に作品を作っても未就学児童向けにしか宣伝を展開しなかったら、それより上の年代は作品の存在すら知らずに終わってしまいます。

そもそもウルトラシリーズは何度か休止期間を挟むので、その度に視聴者を逃がす傾向にあります。土曜夕方6時に平成ウルトラシリーズを見ていた視聴者がいたとしても、その視聴者全員が数年の間を開けて土曜朝7時30分に時間帯を変更したウルトラシリーズを見続けるとは限りません。そう言った視聴者に『ネクサス』の存在を知らせ、且つ、時間帯が変更しても見るように引っ張り込むだけの宣伝が行われていたとは思えません。

作品をどの視聴者層に向けてどのように発信するのかを見極め、それに合った宣伝や放送枠を用意できたのか? メディアミックスを掲げた「ULTRA N PROJECT」でしたが、結果的にメディアの活用が上手くいかず失敗したと言う印象があります。

好きか嫌いかで言ったら『ネクサス』は好きな作品です。それだけに企画が上手く展開されず放送期間短縮となってしまったのが非常に悔しいです。

No.26

Twitterではとても書ききれないので、こちらに投稿させて頂きます。
私にとってのウルトラマンネクサスは、ウルトラマンへの愛を復活させてくれた史上最高のドラマです。
ネクサスの放映当初、私は小学校4年生でした。ですが、「ウルトラマンは小学校の低学年までに卒業するもの。少なくとも女子の見るものではない」と思っていたので、4話まで見る事はありませんでした。
見始めるきっかけとなったのは、朝起きるとウルトラマン好きの父が5話を見ていたことです。
その時すでに始まってから15分ほど経っていたので、詳しくは分かりませんでしたが「従来のように主人公の隊員がウルトラマンに変身するわけではない」、「全員がウルトラマンを味方だと思ってはいない」という事は一目瞭然で、とてつもないリアルさを感じました。
また、不審者とは言え一般人に向かって発砲するという衝撃的なシーンで“to be continued”
それを見た時、「絶対これは面白い展開になる!」と直感したのを、今でも覚えています。
その後のストーリー展開は暗く、重いものでしたが目を離すことができませんでした。
確かにネクサスは、『ウルトラマン』シリーズの中では、かなり異端で、『ウルトラマン』ではなく、『ウルトラマンが出てくるドラマ』と言った方が正確なのではないと思うほどです。
もちろんネクサス以降のウルトラマンも好きですが、ネクサスがあまり受け入れられなかったことが、その後の『ウルトラマン』を、今まで以上に「子供が楽しめるウルトラマン」にせざるを得ない状況を作りだしたと思います。
しかし、あの最終回はウルトラマンシリーズの中でも屈指のものなのではないしょうか。
ようやく主人公の孤門隊員が変身、街の人の声援を受けて戦うシーンは、かつて大好きだったウルトラマンそのもので、「やっぱりウルトラマンが好きだ」と思わせてくれました。
そしてラストの孤門隊員のモノローグは、「絆―ネクサス―」をそのまま体現したようなもので、これまでの孤門隊員と回りの人々の絆がしっかりと伝わってきました。
ネクサスが教えてくれたのは「あきらめない事の大切さ」です。
しかしそれだけでなくもっと多くの大切なものを与えてくれたように思えてなりません。
私の中でネクサスは今でも最高のヒーローです。

No.27

 私は本放送終了からかなり後に怪獣図鑑を通してネクサスに興味を持ち、前情報を得た状態で見ました。そのため、幸か不幸か様々なセオリー破りや物語のからくりに驚かされることはなく、落ち着いて楽しむことができました。
 その中で思い知らされたのが、作品全体を彩る非常に垢抜けたセンスです。今の世なら中二病の権化と鼻で笑う人もありそうですが、平成ウルトラシリーズで花開いた「光と闇の争いに、希望を信じ絶望と戦う人々を投影する」という様式を更に推し進め、緻密かつ華麗な設定や特そを加えた本作は、世のオトコノコ全ての心に訴えるものを持っていると思います。「○○レイシュトローム」「ダーク○○」といった漫画寄りの横文字ネーミングも思わず覚えたくなるような魅力的な響きを持っています。ご都合主義を抑えたハードな展開や血生臭い描写も、それ自体はターゲットとする男児層の全く嫌うものではないでしょう。基本的に私はネクサスという作品を支持し、その完成度の高さを信じて疑いません。
 ならば、何故本作は番組としては失敗に終わったのか。それは意欲的な試みに力を注ぐあまりにヒーロー番組としての体裁を壊し過ぎたからだと思われます。ここで言う体裁とは「ウルトラマンは完全無欠」「防衛隊はいい子で仲良し」などというつまらないものではありません。ただ一つ「毎回熱いバトルで子どもたちを楽しませる」ことです。ドライなようですがヒーロー番組は基本的に見せ物です。怪獣一体につき何回かかろうと構いませんが、毎回何らかの形で痛快な見せ場を用意しておくべきでしょう。その点からすればネクサスは特に前半においては不足と言わざるを得ません。理想を追いかけるうちに自らの役割を見失ったことが、ネクサスの敗因ではないでしょうか。
 同じようなことが、今のアニメにも言えます。「魔法少女まどか☆マギカ」登場以降、作品づくりにおいて「掟破り」「理不尽で不条理」「シビアでハード」が重要視されるようになり、逆にマンネリ化の様相を呈しつつあります。現実を考えるとあまり痛快無比な話は作れないのかもしれませんが、現実こそ鬱展開ばかりではない筈。悲劇に見舞われても、朗らかであろうと懸命に努め人は生きて行くもの。簡単に吹っ切れるものでも絶望しきれるものでもありません。フィクションにおいても、幸せの中にも一抹の不安、不幸の中にも一時の楽しさと、硬軟バランスの取れた作品づくりが重要なのではないでしょうか。王道を征くヒーロー活躍譚に辛口のメッセージを忍ばせてきた伝統を持つウルトラマンシリーズなら尚更のことかと思います。

No.28

「ウルトラマンネクサス」という作品に関して、個人的にも2つに分かれる作品です。
それはかなり乱暴な言い方をすれば前半と後半で評価が全く違う、と言うべきでしょうか?

正直始まった当初は「暗い」イメージでした。
ナイトレイダー出撃のシーンに「ウルトラらしくない防衛チーム」と思いました。
それからストーリ展開の遅さ、かといえば何か別作品のような(しいて言えば同じ円谷の怪奇大作戦・ウルトラQの系統ではなく、牙狼的な感じ)ホラーな描写に殺されていく身内。
徹底的に暗いイメージが付きまとい、姫矢編はかなりきつかったです。

ところが憐編になってから”ウルトラらしさ”が前面に押しだされてきたように感じました。
憐の持つ危うい明るさと何かに突き動かされる感じ、あきらめない心。
それを基軸にしたときに俄然面白さがぐっと出てきたと思いました…が、そこまでが響いたのか打切りが決定。
正直面白くなってきていただけに惜しい気持ちもありましたが、少々ほっとした部分もありました。面白くなってきていたとはいえ、前半の影響が残ってて少し辛かったのが解放されると思ったのです。
ですが、その気持ちも最終回を迎えるころのストーリーに助けられた感じがしました。
明るさ等々にはどんどんかけ離れていきましたけど(笑)
孤門に受け継がれた光、それにまつわる人たちの思いも含めて最終回はまとめたな、と思っています。
そういうわけで個人的に作品には2つの評価を持ち合わせている次第です。

そしてネクサスを語るときにいつも思うこと。結局、円谷は何をしたかったのか?です。
土曜日朝という子供も見る時間に「25:00台のウルトラマンをしたかった」という意欲作であることは解っています。
でも放送時間は7:30です。当然ニーズに合わない。
そうすると視聴者はついていない人も出てきて、見られなくなるのが現実です。
結果として打ち切りになってしまいました。
昔からの社風といいますか(笑)円谷プロは「作りたいものを作ればよいものになる」という自信があり、それが現在のスタッフにも受け継がれているのは良い点だと思います。

しかし時代が流れてより「ニーズ」というものが持つ圧力が出てくるようになった現代、その恐ろしさを味わった作品だったのではないか?とも感じてます。

ウルトラマンらしくないOP曲(両方とも今でも大好きです)に敵が身内であったり仲間が裏切り者だったり。
そんな重厚なストーリー、スタッフも恐れを知らないのか?と思う位にニーズを無視しても「自分のやりたいウルトラマンはこうだ!」とアピールしてくる、それがTV画面から伝わってくる…そう感じることは個人的にはとても歓迎します。
ですが、やはりTVでありそこにスポンサーがいて視聴者がいることを踏まえて見なとき、残念ながらニーズに合わず、戦略として失敗だったのだろうと感じています。

もちろん全てニーズに合わせろ、とはいいません。そんな媚びたような作品はみたくもないです。
ですが適度に視聴者の心をくすぐる「ニーズ」を入れながら、自分たちの「やりたいこと」を盛り込めるだろうということを円谷プロが「ネクサス」から学んだことではないかと考えます。
それがマックス、メビウス、セブンXに受けつがれ、ZAPからゼロ、そしてギンガSにつながっていると感じています。

私はネクサスも好きな作品です(というかウルトラで嫌いな作品なんてありませんがw)。
もし最初の前半でくじけそうになったり、敬遠してしまうかたがいるのなら是非とも言いたいです。

最後まで見なきゃ損するよ?間違いなくそういう作品だから!

No.29

私は子供のころコスモスを見て育っていました。
そのため当時小学生2年生の私は楽しみにテレビをつけました・・・・・。
正直こわかったです。
怪獣は人を食べるしなんかクリーチャーみたいで気持ち悪いな・・と感じてつらかったです。
しかし憐のあたりから徐々に「怖い」から「かっこいい」に変わってゆきました。
最終回には「見てて楽しかった」と感じました。
しかし、改めて見返すと「本当はこうだったのかな?」とか「もっと町が出てほしかった」
と悔やんでしまいます。
小説でもいいので新しく出して欲しいです。

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管理人プロフィール

tubasa_profeel.png 管理人のツバサです。
ウルトラマンネクサスの大ファンです。
現在はウルトラマンギンガを応援しつつ、鎧武・トッキュウジャー・牙狼、その他BSCS特撮にVFX映画とあいかわらず見るモノためまくって消化が追いつかない毎日(苦笑)
期待の新作はもちろん夏公開の新ハリウッド『ゴジラ』だー!

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