響鬼ファンの間で最近何かと話題のこの本。
『「仮面ライダー響鬼」の事情』ですが、うちにも昨日注文していた品が届いたので、さっそく目を通して見ました。まずは感想などを(^-^)
とりあえず最後まで読んでみて思うのは…すんごく重い。
肯定とか否定とかそーゆうことをさておいて、ずしっと重い。
そんな読後感を与えてくれる本です。
ご存じない方に内容のほうざっと説明しますと、2004年の2月下旬からスタートしたという「仮面ライダー剣」の後番組企画。
当初は”非仮面ライダー”を志向し、「変身忍者 嵐」のリメイクという形からスタートしたその企画が、2004年11月の撮影会で無事「仮面ライダー響鬼」として世に発表されるまでの紆余曲折とスタッフの試行錯誤の貴重な記録を描いたノンフィクションといえるでしょうか。
全400ページ近くのページ数による情報量で記されるのは、スタッフの描くワクワクする夢の数々。
1本の映像作品が世に出るためには、かくも膨大な夢想を紡がねばならないのか…と改めてその苦労を思い知らされました。
そして…”夢”の回りには、これまた”現実”というシビアなものが取り巻いているわけですね。
「BEAT RYDER 響鬼」が「仮面ライダー響鬼」に変容した理由はそういう現実的な会社間のやりとり(政治決着)のせいなわけですが、そういう内部の人間しかわからないやりとりが克明に書かれていて非常に興味深いものがありました。
”ヒーローを作る”ということも、お仕事としては普通の仕事と変わんないのですね(当たり前だけどw)。
とゆーことで、具体的に面白いネタとかいっぱい詰まっていて、そのへんもご紹介したいとは思うのですけど、この記事はとりあえず本の全体感想という位置づけにしたいので、それは割愛(余力があれば別記事で)。
とにかくすごい情報量です。
だけど、読み出すと意外にかなりのスピードで読み終えることができます。
けど1度読んだだけでは、たぶんまだ十分ではない。
中身を語るためには2度3度と熟読しなければいけない。
そんな感じの本でもあります。
そのへんが、最初に”肯定か否定か”みたいなとこを濁した理由でもあるんですが(^-^)
ただ一つはっきり言えるのは、その”重い”読後感というものが、突き付けられたシビアな現実の記述とともに、巻末のあるさりげない一つの言葉から来ているということです。
あくまで私だけかもしれませんが…それをちらっと引用してみますね。
五年前の「クウガ」の時と違って、「響鬼」ではもう番組作りを通してやりたいことが高寺氏自身の中に残っていなかった。 (このことは筆者が文芸チームにいた時にもしばしば話題にされ「『クウガ』の落ち穂拾い」と半ば自虐的に表現されていた)
これ、かなり私にはキツかったです…
読んで、バシっと頭の中の幻想を軽く打ち砕かれた感じ(T T)
そーか…そーだったのかー
いや、そんなはずはないっつ!!
みたいな思いが軽く頭の中を渦巻いて…
ちょっとダウナーな気分になったのは確か(^-^)
著者の片岡力さんはすごく真摯にこの本を書かれています。それはよくわかります。
でもちょっとだけ残念に思うのは、
完成映像としての『響鬼』は書く対象とされなかった
ということなんです。
1・2話のわずかな部分以外をのぞいては、
完成映像の要素、たとえば
・ミュージカル風の演出
・響鬼の鬼火
・ナビゲーター(香須実)
などは単なる”思いつき”と断ぜられるだけで、何にも建設的には語られていません。
それは本旨ではないと言われてしまえばそれまでなんですが、自らを”響鬼の生みの親”とまでおっしゃるのならば、間違った育ちをしてしまった不肖の子なのかもしれないけど、その子を親はどう思っているのか…それをはっきり語ってほしかったと思うのですよ。
生みの親としての愛情をお持ちであるならば。
とりわけ感じるのは、この本で語られる制作過程では、”明日夢は弟子入りする”というのは規定路線で、それ以外の選択肢というのはどこにも出てきません。
ところが、現実にはその弟子入り路線は基本消滅してしまったわけですよね(後半で復活するとはいえ)
それも恐らく”思いつき”ゆえの展開なのかもしれないですけど、でも高寺さんには高寺さんなりの狙いが絶対あったはずで、それを考察していただきたかったなあ…とは強く思います。
そしてあの最終話を片岡さんがどう思われたかということも。
全否定でも全然問題ないのですよ。
生みの親が、育った子を見て、なんと語りかけるのか。
純粋にそれを聞いてみたかった…というのはあります。
そういう要素があれば、きっと読後感もすばらしい本になったと思うんですが。
そこらへんが残念でしょうか(^-^)
でも読みごたえがある良質な本であることは確かです。
響鬼にかぎらず今の特撮ヒーローを題材としたビジネス内幕本としてもオススメかも(^-^)
(関連リンク)
いくつかレビュー記事を書かれているブログさんを集めてみました。参考までに(^-^)
▼「読書中。」(いまだクウガな日々さま)
▼「仮面ライダー響鬼」の事情 (ど??さま)
▼「仮面ライダー響鬼の事情」、他。 (えくすぱ10000 ?Thank You!!?さま)
Comments [5]
No.1石田豊武さん
おっと、もう発売されていたのですか。探さなくては。
読んでいないので、読んでいないなりの意見なのですが、恐らく著者はあくまでノンフィクションとして書かれているのではないかと思います。
研究書や批評ってのは筆者の主張や解釈が含まれていなければ成り立ちませんが、ノンフィクションというのは事実を提示するにとどめなければいけないのではないかと思います。それを読んで判じるのは、あくまで読者自身でありべきなんじゃないかと。
あと、高寺さんがすでに描きたいことが無かったという件ですが、もともと私としてはもし響鬼の続編を作るなら、高寺さんでも白倉さんでもない新しい人を中心にして作ってもらいたいな、と思っていました。
もし製作者がからっぽのつもりで作った作品でも、形になって誰かの目に触れればその人は何かを感じるわけで、今度はその人が製作者として自分が感じたものを表現してもらいたいと思うのです。そうやって、上手いこと後進を育てていってもらいたいと、願います。
No.2SOUさん
円谷と東映では会社形態もちがいますし、
創ってるものも特撮とは言えど違うといえば
違うんですが、やはり制作チームにはある程度の
休養期間を置く、あるいは別の系列の作品を創って
またもどってもらう、などの方法を取らないと消耗するだけ
ていうのはあるんでしょうね。
ふと。
No.3葛やさん
ツバサ様、皆様、こんばんは!
葛やです。
>『仮面ライダー響鬼の事情』
この様な本が発売される事自体が、驚きでした。
まだ番組終了からそれ程時も経っていないのに。
でも、ツバサ様がショックを受けられた記述。
個人的には大変納得でした。
確かにあそこまで突き詰めた作品(=仮面ライダークウガ)を作ってしまうと、『作品を通してやりたいこと』は残ってないだろうなぁと。
それだけ、(好き嫌いはあれど)“完全燃焼”な作品でしたからね。
しかもどちらかといえば、『真っ白に燃え尽きた』“完全燃焼”だった様に思います(^^;)
でも“仮面ライダー響鬼”、良い作品だったと思います。
たとえ制作者の方々にとって『不肖の子』だったとしても、何十年か後は・・・わかりませんよ。
“ウルトラマン80”の例だってありますからね(笑)
作品を作るのは制作者だけど、作品を育てるのはファンだと思います。
No.4もっち?&あきらさん
響鬼という作品は、裏設定というか、本編では語られなかった設定がとにかく魅力的なんですよね。
全国の鬼戦士の存在とか、過去の歴史とか…。この辺の話なども語ってほしかったですよね。
特撮が無理でも、漫画や小説、なんならアニメでもいいから続編を作ってもらいたいです。
その辺は、ファンも情熱を制作者側に示さなければなりませんが…(^_^;
No.5えくちぇ?BATYUさん
トラバどうも。最近妙にアクセス数が増えたなぁと思って解析かけてみたらココ経由だったようです(苦笑)。
『事情』は響鬼本というより東映の台所事情ぼ暴露本と化している印象がありますね。なんなら引き合いに出すのは響鬼じゃなくても良かったような。
>五年前の「クウガ」の時と違って、「響鬼」ではもう番組作りを通してやりたいことが高寺氏自身の中に残っていなかった。
そんなの言い訳にもならん言い訳だろwとツッコんだ次第です。
仮面ライダー作りにおいてはクウガで全力投球したとはいえ、高寺氏が次の段階(石ノ森チルドレンのリメイク)を見据えて意気込んでいた旨は初めに語られてますし、番組放映中のインタビューでも氏は折に触れて公言してました。これは響鬼が第二世代ヒーローとして生み出された事から見ても明白でしょう。先述の発言はあくまで「仮面ライダーを作る仕事」にのみ限った指摘ではないかと。
業界関係者にとって、「仮面ライダーを作る」事には何かしらの拘りがあるのかもしれません。
何か、この発言を持って「情熱の篭った続編を!」とか紛糾しそうなのでカウンター的意見を述べてみました(苦笑)。現実的に続編希望するなら嘆願書よりも署名集めよりもカンパだろうなぁと付け加えておきます。
>自らを”響鬼の生みの親”とまでおっしゃるのならば、間違った育ちをしてしまった不肖の子なのかもしれないけど、その子を親はどう思っているのか…それをはっきり語ってほしかったと思うのですよ。
製作者が担当作品の何たるかを語るほど、ファンにとって興を殺ぐ行為は無いのでは、と。色んな解釈や批評を行うのはファンの役目だろうし、「これはこれこれこういう物語である」と断言されたらそこで議論は終了してしまいますから。とりわけ、響鬼には熱烈的な信者がいますから、本懐を得たとまた勘違いしそうな予感もしたり。
否定も肯定もしないのが一番ファンにとて真摯な対応なのだろうなぁと。その辺、葛や氏が仰る「育てるのはファン」が全てを物語っているように思えます。
片岡力氏があくまで一視聴者として響鬼を語ると言うのであれば興味深いのですが。
実はこの本の一番の収穫って豊富なアイディアの羅列なのでは、と思っています。初期?完成前のプロットデバイスやガジェットを見るに映像媒体としてモノになる・ならないがハッキリ見えてくるのが面白かったです。
使われなったアイディアも磨けば拾えそうなモノが多かったですし、モノ書き志向の人は盗みまくれば良さそう(何)。
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