昨日はNHPの月イチ定例チャットでした。
参加していただいた方々、ホントにありがとうございます?(^^)
個人的には、家族が旅行に出かけるとかでその準備手伝いにバタバタしていて、あまり腰をすえてお話できなかったのが残念でしたけど(^^)
それでもとっても楽しいひとときでありました(^^)
来月はじっくりやろうと思ってますので、よろしければ、またお付き合いくださいませ(^^)
で、本題!
NHPで現在
という企画をやっているんですが…
これが、今のところ、なかなか興味深い結果が出ているのですヨ!
私の予想では、
一之巻「響く鬼」
十六之巻「轟く鬼」
二十九之巻「輝く少年」
というところが、上位争いするんじゃないかと思っていたんです(それは今のところ的中)。
ところが、それらと同じくらい
最終之巻「明日なる夢」
劇場版「仮面ライダー響鬼と七人の戦鬼」
この2本が得票を集めているんですね。
現在総投票350弱なんですが、そのうちこの5タイトルが約50票ずつで突出してきています。
後期の2本がこんなに票を集めるとは意外でしたね?。
特に、最終之巻「明日なる夢」は放送当時、賛否両論という印象でしたもんね(どちらかというと否の方が多かったかも)
個人である程度のまとめ投票が可能なシステムなので、これがそのまま多くの人の趣向と重なっているかは疑問ですが、少なくとも熱心な支持者が存在するのは事実。
で、この結果を見て、もう一度最終話を見たくなりまして…
借りてきました。DVD最終巻。(買ったと書けないとこがつらい(T T))
いやー、今見直してみると、面白いです。
特に47話→最終話の連続話は!
なんか今見てみると、当時のいろんな雑念や疑念みたいなものが薄れていて、よりフレッシュな感じで見れてしまうんですよ。
”変な思い込み”のベールがとれて、より物語の本当のところを感じとれるような気がしました。
ヒビキさん、明日夢、京介。
そしてイブキ・トドロキ・カスミ・ヒナカ。
キャラクターたちの心情がより明確に伝わってくるような。
最終回のレビューでも一応は指摘していますが、明日夢の心の成長。
それが、すごく丁寧に描かれていると改めて認識しました。
当時は今ひとつ伝わってこなかった”パネルシアター”も、明日夢にとっての"人助け”。
いわば鬼の仕事と同価値なんですね。
その道を、あえてヒビキさんに背いて選ぶというところがすばらしい。
それ以前の、ヒビキさんの影ばかり追ってきた明日夢にはありえない行為です。
アンケートの方でいただいた最終話へのコメントで、こんな素晴らしいのがあったのでちょっと引用させていただきますが、
明日夢が、一之巻で出来なかったことを、「出来るようになっている」では無く「しようとしている」というところが「響鬼」らしいと思います。
「しようとしている」。
ここなんですよね。
出来る=結果ではなく、しようとする=意志が大事である
ということ。
思えば、あのダメダメだった京介が鬼になれたのも「鬼になりたい!」という意志を持ち続けたためだし、一度ヒビキさんと離れた明日夢が、再びヒビキさんに「俺のそばにいろ」と言われたのも、自分の意志をはっきり見せたおかげ。
「僕は鬼にはなりません」
という言い切る、自分の意志が大事なんだと。
『鬼であることは、生き方そのものだ』
と後期ではずっと語られてきましたが、その”生き方”とは、何を目標とし、どんな夢を持って生きるのか…まさに自分の意志そのものでもあるわけです。
その点で、後期響鬼(あまり前期後期と分けたくないけど、便宜上)は、1本テーマの筋が通っていると私は思います。
今アマゾンとかでDVD最終巻のレビューを読むと、ひどく不評なものも多いです。
確かにアラは多いと思います。
でも、今もう一度見返してみると、もしかして前には感じなかった新たな発見をすることがあるかもしれません。
不満を持っていた人はぜひもう1回見返してほしいと思います。
1話から最終48話。
その全てがそろってこそ『仮面ライダー響鬼』なんですから。
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Comments [2]
No.1石田豊武さん
え?っと、あ?、私のコメントですね、エピソード人気投票のコメント。
いや、もともと匿名ですからカミングアウトしなくても良いことなんですけど、知らないフリして書き込むのもどうかな?と思いましたので、最初に自供しておきます。
多少なりと共感していただけたみたいなので一安心です。
まぁ、最終回も全体的にバタバタしてたのだろうというのは見て取れるんですけど、個人的には明日夢の「僕は、鬼にはなりません」のセリフ(及びその場面の「少年よ」の掛かり方」が「響鬼」の名場面一位なもので。
ツバサさんの仰る意思の話も、大いに賛同いたします。
そも、後半(便宜上、ですよ)のキャラクターは記号化されていると言われがちですが、前半においてのキャラクターも明日夢側(年少側)と鬼側(大人側)に分割されていて、何故鬼になったのか等々、鬼側の内面描写はあまりありませんでした。後半はそのあたりを一回分解して、各々にバックボーンを持たせ、意思の弱さから力に飲まれる等の描写を織り交ぜて、少年から大人に成長するまでのステップを解読していた・・・かも知れません(弱気)。
いずれにせよ、それぞれ弟子に何かを残したいヒビキさん、弟子を復活させたいザンキさん、ザンキさんを名実ともに継いで、師匠を救いたいトドなど、こうなりたい・こうしたいという意思の力が、実戦の結果にも現われていたように思います。立ち位置の定まらなかった、戦う理由が弱冠薄いイブキが、強化型魔化魍やオロチ現象に苦戦を強いられたように。
もちろん高寺さんも、違う演出であれ恐らくは同じようなことを用意していたのではないかと。人間レベル1の明日夢がいきなりレベル10の大人(鬼達)になれるはずもなく、レベル2?9の姿を明日夢に提示してやる必要があるわけですから。
結果として、前・後で鬼パートとしては変化がありませんでしたが、明日夢パートとしてはツバサさんの仰るとおり、貫かれたものがあると思っています。
No.2SOUさん
後半、便宜上ではなくスタッフ、しかも東映の場合、物語の
根幹を作る作業も行なうPの交代があったので、話しとして
分けてもいいとおもいます。
響鬼の最終回付近は持ち直したとおもうのですけれども、
切り替え時のごたごたとしたところが評価をさげた原因と
やはり、前半、後半でのテイストの違いは否めないなあ
というのはあると思うのです。
子持ちの非オタ友人関係も時に響鬼は前半おもしろかったんだけど
みたいなことを言うのですけど、途中で見るのをやめて
最終回まで子供がみなくて評価低いままな
のが多々見受けられるので、引継ぎの失敗
ということが多く言えるのかもしれません。
その部分が乗っているであろう同人誌を買おうとして
コミケに行ったのに、結局は買えなかった私。
ブースの場所を忘れたのが失策だったりなんだったり。
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